ある日の朝日新聞。格子縞を印刷したプラスチックシートが挟まれていた。このシートを通して特殊な模様をすり込んだ広告を見ると、広告がアニメーションのように動く。目の錯覚を利用したもので、ごくわずかな動きだが、新聞広告が動くのは新鮮だった。しかも全ページの全広告がこの処理を施されていて、どのページのどの広告も動いてくれる。すべてのクライアントを説得してこの紙面に参加させたことを考えると、朝日新聞広告部の意気込みが感じられる紙面だった。
あたりまえの話だが、印刷の中の画像がそのまま動くことはありえない。印刷物の中に刷り込まれた写真がテレビ画面のように動くことは、たとえどんな技術革新が進んだところで無理だろう。今話題の電子ペーパーなら可能かもしれないが、電子ペーパーが印刷といえるかどうかというのは、また別の問題だ。目の錯覚の利用とはいえ、なんとか工夫で印刷物を動かしてみせた朝日の広告部にとりあえず拍手。
しかし、こうした試みはネット広告に追われて日に日に苦しい立場に追い込まれていく、新聞広告のあせりともとれる。すでにネット広告は金額ベースで新聞広告を抜き、電波媒体全体をさえ抜こうとしている。新聞広告も今までと同じことをやっていたのでは生き残ることは難しい。目の錯覚さえ動員せざるをえないところに紙媒体印刷のおかれた苦しさがある。
そのネット広告も、最近、文字と写真だけがかかげられた静的なバナー広告はむしろ少なく、にぎやかにロゴやマークが動いてくれる。その動き方もテレビCMともすこし違う。ネット広告にはネット広告独特の動画表現ができつつあるようだ。
なぜ、動かすのか。とにかく目立つからである。止まっているもの中に動く物があれば、人はそこに注目する。静止画から動画へ、訴求力を考えたら当然の流れなのだ。これはカラー印刷・カラー広告の普及の過程を考えれば合点が行く。モノクロの静止画広告ばかりのとき、カラーの静止画広告はそれはそれは目だった。したがって訴求力がなにより重要な広告印刷物はカラーになった。ネット広告になっても同じ事だ。動かない広告より動く広告の方がはるかに目立つ。訴求力が強い。こうなるともともとフルカラーのネット広告はどんどん動き出す。掲示板やSNSの広告ページなどはあまりに動きすぎて、目がチラチラするぐらいである。
そして、今や動画サイトが大人気だ。こちらの方もわずか1年2年であっというまに普及してしまった。私の中学の息子もご多分にもれず、動画サイトにいりびたりである。テレビのように放送時間に縛られず、膨大な数の動画ファイルの中から好きな動画を見られるのである。なかには「ニコニコ動画」のようにその動画に意見を書き込めて、それがまた新たな視聴者参加を呼び込んだりする。
動画はパソコン画面をとびだしてもいる。携帯型の音楽プレーヤーは動画も見られるようになってきているし、携帯電話にもどんどん動画が進出してきている。通勤電車の中、携帯電話の小さな画面をにらんでいる若者はもう見慣れた光景だが、今や、それもメイルでもゲームでもなく動画である。これはもうまったく新しい動画文化というようものを生み出しているようだ。20年前には考えられなかったことが今、正に起こっている。
問題は、どうやってこの世界を印刷の味方につけるかということなのだ。動かない印刷とインターネット動画の世界はまったく別の世界と、印刷の世界にとじこもってしまうのはいいけれど、それで果たしてすむ問題だろうか。印刷の市場はこのままではどんどんせまくなっていってしまう。動画に夢中の若者達もいずれは本当の読書の魅力にめざめ、また印刷需要が回復するというようなおとぎ話も信じられない。動画に慣れ親しんだ若者がそんなに簡単に動かない紙の世界にもどってくるだろうか。
しかし、なんでもかんでも動けばいいってものでもあるまい。動かないものがあるから動く物がめだつ。みんな動いたのではうるさくてしようがない。しばらくは動かない印刷という選択から自信をもって動かないのが正解かな。「しばらく」はね。