第99回 若旦那インドを行く|学会誌・学術印刷全般・学会業務受託など、文化学術の発展に貢献する中西印刷

第99回 若旦那インドを行く

 印刷屋も国際的になってきて、今や中小企業の間でも中国で印刷といった例はめずらしくなくなっている。どの分野でもそうだろうが、グローバル化時代、生産も消費も日本だけでは生きていくのは難しい。今回、インドの印刷会社を取材する機会があったので、ぜひ報告させていただきたい。若旦那コンピュータ奮戦記特別編である。


 インドのイメージというと、ヒンズー教の裸の行者、聖なる牛、カレーライス、そして極端な貧富の格差というところだろうか。しかし、反面世界のソフトウェア産業の一大中心地でもある。古いままのインド、そしてITを中心とした新しいインド、このイメージのどちらが正解なのか、その回答を得たくて、シンガポールからチェンナイ(旧名マドラス)国際空港にはいった。回答は両方とも正解だったのだ。


 空港を出て、まず、目にとびこんできたのは古いインドの方だった。車がまず古ぼけていたし、オートリキシャという名の3輪タクシーも走り回っている。オートリキシャの運転手はみな裸足だ。とにかく人が多い。どこの道にも必ず人が歩いている。場合によっては小さな子供を抱えた路上生活者の姿も数多く目にする。私の乗ったタクシーが信号か何かでとまると、粗末な衣に身を包んだ母親が赤ん坊を抱いて、物乞いにやってくる。もちろん聖なる牛も街のあちこちを自由に闊歩している。街はお世辞にも綺麗とは言い難い。アジアの混沌といってよい世界だった。(写真1)


写真1 チェンナイの街角 写真1 チェンナイの街角


タクシーがスラムのようなところにはいっていくので、何か物騒な所にでもつれこまれるのかと一瞬どきりとしたが、ホテルだった。スラムというのは、あまりに先進国の観念に毒された見方であって、そう見えたのは露天のたち並ぶバザールだった。つまり繁華街の真ん中のホテルだったのである。ホテルへ一歩足を踏み入れれば、そこはまったくの西欧世界。8階まで吹き抜けのロビーにはクリスマスの飾りつけがあって、クーラーが効いていた。部屋も豪華である。この落差がインドなのだなあとつくづく思う。


 ホテルへ迎えがきて、見学先の会社に出向く。見学先のL社は、最近、欧米から大量の受注をえて急成長している会社である。従業員は600人を数えるという。ただ、ここは印刷会社とは言っても、「印刷」はおこなっていない。日本で言う「組版」専門である。なぜそうなのかはのちほどわかることになる。ここも、会社のまわりはまったくアジア的混沌のままなのに一歩中へはいると、日本でもお目にかかれないような近代的オフィスになっていた。まずは会議室のようなところへ通され、いろいろと一般的な話をする。私の父がインドが好きで4・5回は来ていたというと喜んでくれた。うちは活字時代、ずいぶんインド系の言語の印刷に力をいれていた時代があるのだ。


 話もそこそこに工場を見学。工場といっても組版専門なので、コンピュータがずらっと並んで、前で黙々と作業しているオペレーターたちということになる。女性が圧倒的に多いが、日本みたいに好き勝手な格好をしているのではなく、全員伝統衣装のサリー姿だった。日本だとみんな着物で仕事しているようなものだと思う。明るいオフィスは1人1人ローパーティションで仕切られていて、整然としている(写真2)。全員大学出身ということで、インドの状況から考えると非常に高度な仕事なのだと思う。みんなどこか良家の子女風だった。アジア的混沌はみじんもない。


写真2 整然としたL社社内 写真2 整然としたL社社内


ここでは全世界、おもにイギリスとアメリカから組版の仕事を受けて、生産しているという。原稿はイギリスやアメリカの支店に集められ、スキャンされてPDFとして、インドにインターネットで送られてくるのだという。こうした印刷組版といった仕事はインターネット時代になってはじめてインドでも可能になったといっていい。たとえば活版だとこんなに軽々しく国境を越えることは絶対に不可能だし、写真も含めた重い組み版データはブロードバンドになって初めて簡単にやりとりができるようになった。物ではなく情報だけが世界を駆け抜けていくの時代にはまったく新しい発想がいるということだろうか。この会社はインターネットの発展と歩調をあわせ急成長をとげているわけだ。


 組版言語はほぼ100%TeXだという。これはインドでは一般的なのかと聞くと、この会社独自のことらしい。TeXは元来がフリーソフトなので導入がしやすかったらしい。今はXMLの生産に力をいれていて、XMLで書けば、それをTeXのエンジンで処理して組版ができるというシステムを作っていると豪語していた。組み版に限らず、かなりのプログラム開発力を有しているようだ。マイクロソフトの実際のプログラムを書いているのはインドというぐらいで、ITについての水準が非常に高い。


 進行管理もすべてコンピュータ化されており、それもクライアント側で進行を確認できるということである。欧米の会社は、インドのような遠隔地に発注していても、自分のところの仕事がすすんでいるかどうか、WEBからすぐに確かめられるというのだ。現在は、オンラインプルーフ(校正)に力をいれているということだった。インドで生産するとなると校正が問題となる。紙に書き込まれた赤字をいったんアメリカやイギリスでスキャンしてからインドに送らねばならないのだ。従って、著者や編集者に校正を直接画面上でやってもらえれば、一切そういった手間がはふけることになる。このシステムの稼働しているところをみたが、もう紙を前提とした文明は終わるとつくづく感じた。


 当然ながら巨大なサーバーシステムとバックアップシステムは装備されていた。また停電が比較的多いこの国ではUPSは必須だといっていた。バックアップはなぜかオーストラリアへ送るといっていた。おそらく要はシンガポールだ。アジアのIT産業の中心は今や東京でなくて、シンガポールなのだ。シンガポールを中心にIT産業がインドやオーストラリアで進展しているということだろう。


 おもしろかったのは、サリー姿のお嬢さん方がガラス貼りの会議室でミーティングをしている。なにかというと「カイゼン」だという(写真3)。あのQCサークルなのであった。アメリカで生まれたQCは日本で花開き、そして全世界に輸出されていたのだ。壁面には「品質こそわれわれの100%」の文字。もしかしたら、日本は世界から一周遅れになってしまったのかもしれない。


写真3 カイゼン活動中の社員たち 写真3 カイゼン活動中の社員たち


 最後に会議室で社長(正確にはCEO)(写真4)とあって、日本市場での仕事について意見交換。「日本語組版はやるつもりはあるか」と聞くと「難しい」と言っていた。日本語マシンに日本語教育。かれらにとって日本語は参入するには障壁が大きすぎるのである。日本の印刷会社はしばらく日本語の壁に守られて仕事ができるということで、胸をなで下ろす向きも多いだろう。逆に言うと、英語という言語の強みはここなのだろう。人件費のかかる仕事はすぐに労賃の安い国へもっていける。ある時はメキシコだったし、ある時は香港だった。今はインドということになるのだろう。


写真4 CEOと固い握手する筆者 写真4 CEOと固い握手する筆者


ちなみになぜ印刷はやらないのか聞くと理由ははっきりしていた。印刷機は輸入品で非常に高い上に、生産物をまた消費地(アメリカやイギリス)に運ばなくてはならないので、インドでやっても意味がないというのである。やはりこの商売、あくまでも人件費が削減できるというところに存在価値があるのだ。全世界で、自分の得意な分野を見定めてそこに資源を集中していくという方法論はグローバル化時代には絶対に必要なことなのだろう。


 かえり、大勢の人と牛の行き交うアジア的混沌の中、盛んに道を掘り返しているのが目についた。なんの工事かと聞くと、「光ファイバー」だということだった。侮りがたしインド!



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