第103回 10年目の名簿|学会誌・学術印刷全般・学会業務受託など、文化学術の発展に貢献する中西印刷

第103回 10年目の名簿

「大変なんです。もう納期が迫っているのに、索引の校正をだしたら、きちんと並んでいないと、クライアントがご立腹なんです。」


 またもや、営業がとびこんでくるところから、この話ははじまる。どうやら担当者は索引作成なんぞ、中身の校正がすんでから一気にやればすぐできると、タカをくくっていたらしい。ところが、件の索引は簡単にはならべかえられない代物だったのだ。読みと画数と字形を複雑に組み合わせた並べ替え規則は、コンピュータにとっては悪夢のような仕様だったのである。担当営業は中身が組みあがるまで、索引が何の順番で並んでいるかなんて考えてもいなかったらしい。どんな順番でもキーを選択さえすれば、並べ替えのプログラムですぐできてしまうと思いこんでいたらしいのだ。


「しかたない人海戦術だ」


 結局、空いている人も空いていない人もとにかく集めて、漢字の画数調べである。しかし、その手間は大変な物だった。コンピュータでなんとか近いところまで並べようとはするのだが、結果はかんばしくない。コンピュータではたとえば読み仮名で並べれば、漢字が綺麗には並ばない。「井元」さんと「井本」さんが並んでしまう。かといって、漢字で並べれば「はせ(長谷)」さんと「ながたに(長谷)」さんが隣になってしまう。まがりなりにも、原則があるわけだからプログラムでやってやれないことはないが、複雑怪奇なことになってしまう。


 それにしても、なぜいまどき人海戦術なんてやっかいなことになってしまったのだろう。実はこの話には前段があった。この名簿はリピートだったのだ。ただし、前回の発注は10年前だったのだ。その前の発注ははるか20年前。10年に一度の名簿だったのだ。前回は、データは並べ替えられてから入稿したらしい。10年前というと、電算写植全盛時代。そのころは、まだ索引は印刷会社のおまけではなかった。だから社内の誰も並べ方について知らなかったのだ。にもかかわらず、クライアントは当然印刷会社が並べ替える物と思いこんでいた。これでは混乱する。


 名簿の索引作りというのは、本来、印刷屋の仕事ではなかった。カード作りから、その並べ替えまで発注側の仕事だったのである。校正する作業も含めて、数千、数万にも及ぶ名前を人間が手で取り扱っていたのだから、その手間暇は今となってみれば想像を絶するものがある。反面、コンピュータではないので、論理云々より、とにかく人間が調べやすいように並べ替えることができたともいえる。どちらにしても、印刷会社では並べられた物を素直に組み版するだけだった。


 いつのまに、索引作りが印刷会社の仕事になってしまったのだろう。


 それは間違いなく、印刷が電算化された時だ。索引作りに限らず、各ページレイアウトが統一されていて自動組み版が可能になるなど、いろいろな意味で名簿というのは電算向けの仕事であった。そして、誰もが、索引の作成自体を印刷会社でやれば儲かるのではないかと思いついた。作成の手間は十分の一か百分の一になっているのに、索引作成費の請求は十分の一や百分の一にせずともいい。せいぜい三分の一でいいのだ。それでもクライアントには費用が節減できた、索引作成の手間が減ったと喜んでもらえる。実際そうだった。印刷会社もクライアントも幸せな時期だ。


 もちろん、そんな時期はほんの一瞬。あっというまに、名簿の索引制作はおまけあつかいになってしまった。できて当然。クライアントも只に近い費用で並べ替えられることを先刻ご存知である。それに抵抗もしなかった我々。あげく人海戦術をしいられて。


 うーん、結局、コンピュータ時代になつて、自分で自分の首をしめていた実例がまたひとつ増えただけのことか。



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