第116回 drupaの携帯電話|学会誌・学術印刷全般・学会業務受託など、文化学術の発展に貢献する中西印刷

第116回 drupaの携帯電話

 先月に引き続き、drupa第2段である。今回、drupa見学ツアーというたぐいでの団体旅行で行った。団体旅行は実はひさしぶりなのだが、驚いたのはバス内の携帯電話だった。バスに乗って、さあ出発ですよということになると、あちらこちらで携帯電話をかける参加者の声がする。もちろんかかっても来る。日本で携帯電話が普及してもう10年、日本国内では、ところかまわず携帯電話というのはめずらしくもないが、今まで海外にでると、日本の携帯電話は当然つながらないから、こんな情景にお目にかかることはなかった。


 元々「海外に出れば連絡はとれないと思え」というのは当たり前だった。ちょっと前までは、「社長は外遊中で」というのはかっこうの雲隠れ理由でもあった。社長にしてみれば仕事におっかけられず、ぞんぶんと海外で羽をのばすことができただろう。私の死んだ父も海外旅行が好きだったが、好きな理由の半分以上は「会社の仕事から完全に解放されたい」だったように思う。時代が下ると、ホテルへの国際電話で連絡はつくようにはなったが、海外旅行中というのは、ホテルにいる時間の方がすくないし、時差があるから、実際に連絡が取りたいときにはホテルにいないという事も多かった。それをいいことに会社の事をすべて忘れ、リフレッシュしていたのだと思う。


 さま変わりしたのはボーダーホンに代表されるような海外でも使える携帯電話の登場である。空港でもレンタルしてくれるし、日本でボーダーホンを使っていればそのままもちだせて使える(一部機種のみ)。これが鳴る。日本で使っているボーダーホンを持ち出した場合などは、日本で普通にかけている同じ携帯電話番号を相手が叩けば、世界中どこにいてもよびだされることになる。


 ボーターホンで仕事の打ち合わせ、世界中どこにいてもということになる。確かに世界を日々飛び回る商社マンなら珍しいことでもないだろうが、ローカルな市場に根をおろした中小企業の経営者が携帯電話でドイツから日本へ指示をだしているのである。白状すると、私のボーダーホンも一度なった。帰国後のクライアントとの面会時間の変更の問い合わせといった他愛もない用事だった。そもそも、かけてきた若い営業マンは私が海外にいることをまったく意識していなかったに違いない。業務が国際化したというよりは、ローカルな仕事が世界へと拡散したというか。


 結局、携帯電話の国際化はグローバル経済の一側面であるかもしれない。すでに中小企業といえど、中国での印刷とか、インドでの組版とか、事業が国際的になってきているのも確かなのだ。今まで、われわれ印刷会社はあまりに日本語の壁に守られて、国際競争と言うところとは無縁でありすぎた。日本の他の業界が激越な国際競争を戦っている間も、印刷業界は日本語の組み版ができるのは日本だけという障壁の中で安穏としていられた。しかしもうそれは通用しないだろう。携帯電話ひとつで世界中に指示ができる今、日本語という障壁だけではあまりに脆弱。組み版はともかく、印刷・製本に日本語の壁はない。クライアントは冷酷だ。安くて品質が良ければ、簡単にアジアに仕事をもっていくだろう。ヨーロッパから見れば、もはや日本は単にコスト高のアジアの一国でしかない。


 さて、そこから先だ。世界には携帯電話で全世界へ指示を出す側にいる人間あるいは国と、それを受けて働くだけの人間がい、国があることに思い至らねばならない。ヨーロッパの人々は、世界中どこで生産すれば一番安いかを常に考えている。そしてプールサイドでカクテルでも飲みながら、携帯電話で指示をだすのだ。日本から香港へ、そして中国本土へ。安い工賃の国を求めて生産を移していく。われわれ日本人は携帯電話で指示を出す側になれるのか、命令される側になるのか。これから10年ぐらいが、日本の本当の岐路であるのもしれない。



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