第10回 切り貼りの果てに|学会誌・学術印刷全般・学会業務受託など、文化学術の発展に貢献する中西印刷

第10回 切り貼りの果てに

 手動写植の時代、版下というのは、切った貼ったのやくざ稼業でできあがっていた。組版といったって、棒組しかでないわけだから、最終仕上げはどうやったって、切り貼りになってしまう。手動写植の機能は段々と棒組から頁単位での組版ができるように改良されてはいったものの、訂正がはいると、あっとういまに切り貼りだらけになってしまうのは避けられなかった。版下というのは、切り貼りだらけの満身創痍というのが、普通だった。


 この切り貼りというやつ、手先の器用な日本人向きなのか、ずいぶん神業のような訂正をやってくれる人がいる。それで、電算写植の時代になっても、なかなか廃れない。フルページネーションだ、フィルム出力だと騒いでいる割に、実際には最終版下が切り貼り依存という体質は一向にあらたまっていないのではないか。


 マッキントッシュを数十台いれたという印刷屋さんがあった(うちではない。念のため)。ここでは、マッキントッシュが増えると、版下フィニッシュの人間も増えていく。よくよく話を聞いてみると、マッキントッシュで組版しても、棒組しかしていないのだ。あくまで、版下の最終仕上げは従来通り、版下フィニッシュ作業に頼っているという。これでは、マッキントッシュをいくらいれても、版下フィニッシュ作業は減らない。


 DTP化した意味がないようなものだが、さにあらずである。欧米ならいざ知らず、日本の切り貼りは、ほとんど芸術の域であり、生産性もめちゃくちゃに高い。だから、フルページネーションに下手にこだわるより、DTPをあくまで、安価な写植機として使い、あとは手動写植の時代から伝統の切り貼りに頼った方が、結果として、安く、いい版下ができてしまう。フルページネーションだと言っても、現行のマッキントッシュ程度では、写真1枚もたせたら、動作が急に緩慢になってしまう。すこし複雑なレイアウトでも、WYSIWYGにこだわって、マニュアルをひっくりかえすより、切り貼りでやった方が、結局、速い。


 では、今後も、日本語組版は切り貼りの覇権が続くのであろうか。結論からいうとそれは無理だ。まず、第一にコンピュータが猛烈な勢いで速くなっている。スピード面での切り貼りの優位性はどんどん減ってきている。第二にイメージセッターからのフィルム出力や、刷版出力、そしてオンデマンド印刷なんて時代になったとき、切り貼りでどうやって対応できるというのだろう。本文も、タイトルも。丁数も、図表も、写真も、全部コンピュータで処理できていればこそ、オンデマンドで印刷できるのにだ。


 そして、CD-ROMやインターネットという次世代のメディアに切り貼りは通用しない。こいつらは、頭からお尻までコンピュータでできてくる。だからこそ、私は声を大にして言いたい。目先の生産性にこだわってはいけない。次の時代は間違いなく、全部コンピュータでやらなきゃならないときが来る。今から、脱切り貼りしとかないと、次の時代が生き残れないと。



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