第122回 パソコン通信の終焉|学会誌・学術印刷全般・学会業務受託など、文化学術の発展に貢献する中西印刷

第122回 パソコン通信の終焉

 インターネットの掲示板にいろいろな人が書き込み、情報交換をするというのは、今や珍しいことではない。ちょっと気の利いたウェブサイトにはたいてい掲示板がつけられているし、はやりのブログに、コメントのかたちでつけられているのも掲示板と言っていい。人間のコミュニケーションに対する欲望はつきることがないかのように、毎日、電子ネットワークの世界ではさまざまな書き込みが掲示板を覆い尽くしている。中には巨大掲示板の2ちゃんねるのように、名誉毀損や著作権侵害で有名というものまである。


これらすべてのルーツにパソコン通信というものがあった。


 パソコン通信は今のインターネットに似ているが、写真も音も、もちろん動画も表示できない。文字だけのコミュニケーションである。現在、電子メイルでよく使われる顔文字は、このパソコン通信時代の文字だけでコミュニケートするという制約の中でいかに感情を表現をもりこむかという工夫の中から生まれた。そしてインターネットのようにあらゆるパソコンが簡単に参加できるというのではなく、運営会社ごとにシステムがことなっていた。


 今から思えばあまりに不便なシステムではあったが、1987年、今から18年前、私はパソコン通信システムnifty-serve(現インターネットプロバイダ@nifty)上に「文字情報と印刷・DTPフォーラム」をたちあげ、シスオペに就任した。電子ネットワーク上の印刷関係情報交換のもっとも早い事例だったと自負している。18年前といえばまだ電算写植ですら、それほど普及していない時期である。それでも、全国からオペレータがそれぞれの悩みを抱えて、質問をよせたり、新しいDTPの噂話をしたりと隆盛であった。いや、当初2・3年は隆盛とはとてもいえなかったな。パソコンにモデムをつなげて通信をしようという人間の絶対数がすくなかった。どちらかというとパソコンおたくのおもちゃであって、電算写植のようなマイナーな分野に人は集まらなかった。


 最盛期はやはり90年代中頃だろうか、特にWindows95の登場の頃はすさまじかった。Windows95は買ったものの、なにに使うかわからないという人が、いっせいにパソコン通信に流れ込んだからである。おりしも印刷業界も電算写植からDTPへと一気にかわったころで、MacintoshDTP関係の書き込みなど、とにかくすさまじい量になった。


 90年代末インターネットが普及し、掲示板が簡単に開設できるようになると、急激にアクセス者が減るようになった。90年代前半にパソコン通信で活躍したような人材がウェッブサイトを開設するようになったのもこのころだ。電子掲示板に質問を書き込まなくてもウェッブサイトに整理された情報が載っているのだからその方がはるかに使いやすい。ご存じのようにその後インターネットはありとあらゆる情報を飲み込んでいまでも拡大を続けている。


 「文字情報と印刷・DTPフォーラム」も末期にはインターネットへ移植したりしたが、もはや時は遅かった。そして今、終焉を迎えた。やることはやった。悔いはない。パソコン通信の始まりと終わりを見届けたのはこの印刷とDTP界隈ではわたしぐらいなものだろう。ひとつの世界がはじまり、隆盛をむかえ、そしてとじていった18年。企業30年といわれるが、18年で終わったのは、この間のネット社会の進展による環境変化がそれほど速かったということであるのかもしれない。


 実はパソコン通信が隆盛だった頃、このまま隆盛が何年も続くような気がしていた。そのあとに、インターネットの時代がくるなど想像もできなかった。すべての産業は永遠には続かない。オフセットもDTPもしかり。そして印刷それ自身も。



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