注意 今回は、漢字コードの話です。実例であげているのは「鴎」の新字体と旧字体です。旧字体の「鴎」を表現するときには「區鳥」と表記しています。(これだから嫌なんだよね。JISコード。要るときにゃ、要るんだし、区別しなければならない時はならないのにね。)
印刷屋泣かせの人名というのは結構多いが、有名人で一番泣かされるのは、森區鳥外さんである。最近のDTPやパソコンでは、森「區鳥」外が「鴎」外としかでてこないからだ。この例は、OA機器の悪口をいうときの決まり文句のひとつである。しかし、これは機器の責任ではなく、JIS規格の責任なのだ。おそらく、このエッセイ自体、印刷するのには苦労されたことと思う。ご苦労様でした。
日本で漢字コードのJIS規格が制定されたのは1978年、いわゆる78JISである。このとき、当用漢字(現在の常用漢字の前身)はそのまま新字体が使われたが、当用漢字以外は正字体が使われた。従って、当用漢字にない「區鳥」は「區鳥」と表記されていた。ところが、1983年にJISが改訂されたとき、字形を「鴎」にかえてしまうのである。これ以後、作られたワープロ・パソコンは基本的にこの「鴎」を採用することになる。JIS規格になったのだから工業製品であるワープロが、「鴎」を採用するのはあたりまえで、これで、悪口をいわれたのでは、ワープロが浮かばれません。
印刷業界では、それでもいささか事情が違う。「區鳥」をはじめとした正字の需要が多いのである。伝統的に字にこだわりのある出版業界では「區鳥」こそ望まれたのだ。中西印刷では、死んだ親父がこだわった。漢字字形はそうやすやすと変える物ではないと言って譲らないのである。そこで、中西印刷ではJISが83になって、「鴎」になっても、がんこに、78JIS時代の「區鳥」フォントにこだわった。電算写植のバージョンアップがあっても、漢字フォントの変更は絶対にゆるさなかった。それどころか83JIS後に導入した機械まで、わざわざ78JISフォントに入れ替えさせる徹底ぶりだった。もちろん、印刷途上で「區鳥外」から「鴎外」に変わったりしたら問題だからこれはこれで見識であったと思う。しかし、これがDTP時代になると重荷になりだした。
電算写植だけで閉じている時代はよかった。「區鳥」なら「區鳥」がシステムの中で完結していたからだ。ところが、DTP時代になるとPSフォントをつんだイメージセッタと、各種のDTPマシンを接続して出力するようになった。電算写植につながっていたワークステーションとて例外ではない。ワークステーションでの校正段階では「區鳥外」のはずがイメージセッタにだすと「鴎外」に化けたりすることになる。これでは混乱の極みである。実用上の観点からすると、「鴎外」なら「鴎外」で統一してくれた方がどれだけすっきりすることか。しかもJIS83ができて15年。「鴎外」はすっかり定着した。もちろん、この手の字は「鴎」だけでなく、確認しただけで300字ほどある。これはたまりませんよ。どこかの時点で83に切り替えるべきかとも思っていたが、仕事を途中でとめるわけにもいかないのが辛い。親父はなんて遺産を残してくれたんだと恨みにも思っていた。
ところが、6月25日の新聞を見てびっくり。国語審議会が、JIS83の字体を否定したのだ。「鴎」を「區鳥」に戻すことをはじめ、数々の文字を正字に戻せといっているのだ。ワープロ文字への批判が国語審議会を動かしたともいえるが、正直言って、えらいことをいいだしたものだ。実は、ほとんど普及はしていないが、「區鳥」はJIS第3水準にあたる1990年のJIS補助漢字には載っている。JIS第2水準の「鴎」を「區鳥」にかえるとなると、二重に「區鳥」がJIS漢字表に載ることになる。日本の政府は、何をやってんでしょうねえ。こうなるなら、最初から「區鳥」にしとけばいいものを。国語審議会も「試案」らしいから、これから何がどうなるかわかりませんが、この件がこれだけ新聞に大々的に載ってしまえば、簡単にはくつがえらないだろう。
いずれにしても、親父殿は結果として先見の明があったことになる。久々に墓参りでも行って、「親父、あんたはえらかった」っていってやろうか。好きだったビールでも、もって。