活版ミニ博物館
印刷の技術を未来に残したい

活版廃止から30年、
展示物を入れ替え
「再出発」することとなりました。

活版ミニ博物館は小さいながらも、活版印刷をささえた機材がもれなく収集されております。
また、京都は戦災が少なかったせいか、昭和初期以前の機材が数多く残っていることが特徴です。
ことに大活字については、古い物が数多く残されており、詳しい研究が待たれます。
2022年の展示更新では、あらたに木版時代の版木や、モノタイプなど近代活版自動化の足跡を加えています。

活版廃止から30年、展示物を入れ替え「再出発」することとなりました。

長年「活版の中西」で
あり続けた歴史

中西印刷は1880年頃から1992年まで100年以上にわたって、鉛を使った活版印刷を行ってきました。
「活版の中西」は平版印刷が主流になった1980年代にあっても中西印刷のキャッチフレーズであり続けました。
1990年代になると、さすがに時代の波に抗しきれず、電子組版平版印刷へと移行していき、活版の最後の日は1992年6月11日でした。
活版を廃止するとき、活字をはじめとした多くの機材は捨てざるをえませんでしたが、
活版印刷の改善に苦労してきた当社第6代社長中西亮(1928-1994)はこれを惜しみ、いくつかの機材を未来に残しました。
活版廃止後15年の2007年に、整理して展示し、印刷の技術を未来に残すことといたしました。
そして活版廃止30年にあたる2022年。
その後あらたに発見された機材等も加えて、展示を充実させ、再発足しました。
中西印刷活版ミニ博物館では貴重な技術を紹介しています。

活版印刷を支えた
昭和期以前の機材と技術

活字

鉛でつくられた凸版の
ハンコといえるものが活字です。

活字

これを並べることで印刷版がつくられました。中西印刷は明治から約百年間、活版専業だったため、各時代の活字が現存しています。活字の色の違いは作られた時期により、表面の酸化度合いが違うためです。古い活字は明治大正期からのものもあります。活字は最末期の活字でも初期の活字でも混在して使えるほど標準化されていました。それだけ早くに完成した技術ともいえます。(年代不明)

西夏文字字母

凸型の活字を鋳造する元になる
凹型の原盤が字母です。

西夏文字字母

耐久性が求められるので真鍮が使われます。活字そのものは字母さえあればいくらでも鋳造できますので、印刷会社の真の財産は字母と言えました。大事に保存されていたため中西印刷にも字母は数多く現存します。写真にあげたのは西夏文字字母。中西印刷は特殊活字を多数所有することで有名でしたが、その極みともいえるのが、この西夏文字です。西夏文字の解読で知られる京都大学の西田龍雄博士の求めに応じて、当社で作成しました。西夏文字字母は世界中でも当社にしか現存しません。(1973年)

植字

要素を合わせ紙面を
汲み上げていく作業です。

植字

活版は活字だけではページが構成できません。余白が必要ですし、ページには本文だけでなくタイトルやノンブルなど大きさや書体の違う活字を使用する必要もありました。これらのページ構成要素は職人の手で拾われ、植字職人がページに組み上げていました。組み上げられたページを最後は凧糸で巻いて止めます。接着剤などで固定せず凧糸で巻くのは、あとの差し替えを容易にするためと、活字の再利用を図るためでした。写真は実際に2005年に活版の復元作業を最後の活版職人さんが在職時におこなったときのものです。最盛期にはこうした職人さんが中西印刷には何十人と勤めていました。(2005年)

植字台

活字やインテルを集めて
活版を作るための作業台です。

植字台

活字やインテルを集めて活版を作るための作業台です。数字などのよく使う字や罫、クワタなどはいちいち文撰しなくてもよいように、この植字台に備え付けられています。この台は中西印刷最後の植字台を使われていた当時のまま保存しています。(1950年代、1992年6月11日の状態で保存)右に見えている黒い機械は活版を鋳造するための鋳造機です。(1940年代)

プラテン活版印刷機

ドイツハイデルベルグ社製
プラテン印刷機です。

プラテン活版印刷機

プラテンは平圧をかけるのでスピードはあがりませんが、印刷物の形状に制約が少ないため、1960年代まで使用されていました。自動給紙機構を備えており、手差し給紙が主流だった時代に大変な生産性をあげたといいます。第3代社長中西勝太郎が勧業博覧会で購入した当時3台輸入された内の1台と伝えられています(1928年)。タレントで2020年になくなった岸辺シローさんが中西印刷在籍時に使っていたというエピソードがあります。

モノタイプキーボード

キーボードから文字を打ち込むと、
その通りに活字が並んででてくる機械です。

モノタイプキーボード

この種の機械は20世紀初頭からいくつか発明されていましたが、モノタイプはその中でももっとも成功した物のひとつです。キーボードから一旦穴あきの紙テープに出力し、鋳造機でひとつひとつそれに応じた活字を鋳込むという仕組みでした。電子部品を使わず、歯車とテコだけでこうした複雑な機構を実現していたのには驚かされます。中西印刷ではイギリス製の欧文モノタイプを1969年に導入。これによって、欧米での組版と同等の品質の欧文学術誌を作ることが可能となり、中西印刷が学術書の印刷へ特化していく契機となりました。展示品はキーボード部分です。書体ごとにキーボードが異なり、タイプライターと違いffやffiの合字のキーがあるなど、活字組み版に対応しています。