中西印刷が、ほんの10年前までは活版の会社だったのは最近の新入社員にはもう想像もつかないものらしい。活版は単なる歴史であって、その昔木版で印刷物が作られていたと同じレベルで語られているのである。活版から電算へ、それは大変な事業だった。そのことを知る活版の職人も、定年でひとりまたひとりと去っていき、もはや、活版経験者は数えるほどしか残っていない。それももう2・3年すると一人もいなくなってしまう。そのあとは、コンピュータしかしらない若いオペレーターが、工場を支えていくことになるわけだ。
活版経験者の退職とともにもうひとつ消えていくものがある。電算写植である。活版から電算にかわったとき、活版職人がまっさきに取り組んだのが、電算写植だった。印刷会社の電算化とは、すなわち電算写植の導入であり、活版の職人は電算写植と取り組み、なんとか自分のものにしていった。そこには語り尽くせないドラマがあった。しかし、電算写植を継ぐ者はない。若い世代はすでにオペレーションの中心をDTPに移し、電算写植は活版からの転向者が退職するとともに廃止の運命にある。
こうした経緯は、遅かれ速かれ、活版印刷業者が経験していることだろうが、平穏な道ではなかった。特に、活版業者が転換を余儀なくされた時期は、時代があまりに険しかった。業界の電算化がもっとも進んだ時期はバブル期からその後の不景気の時期に重なる。バブル期には確かに資金も調達しやすかったが、端末が一台一千万円などという時代でもあった。90年代の不景気の時代にあっては、そもそも資金が調達できなかったし、転換をなんとか無事にはたしたとしても、毎年、スパイラルのようにさがっていく印刷代金に苦しむことになってしまった。
だが、そんな困難な時代ではあっけれども、コンピュータに関するノウハウだけは蓄積できたように思う。ご存じのように、今や、DTPシステムはハードソフトあわせても20万円もあれば1セットできてしまう。出力も600DPI TrueTypeで割り切れば、嘘のように安い。これをつかいこなせるか否かが、今の印刷、特にプリプレスでの生き残りがかかっている。電算写植の時代はまず、その高価なシステムを導入できるかが、事業が継続できるかどうかの分かれ目だった。今や、ことプリプレスに関する限り、ほとんど設備資金は必要ない。実際、今プリプレスを支えているのは小さなデザインスタジオのようなところであったりする。
印刷屋をいかすもころすも、コンピュータをつかいこなすノウハウ次第なのである。電算写植の時代にこのノウハウを身につけたか否かが生き残りの鍵になっているといっても過言ではない。もちろん、コンピュータのノウハウだけなら、コンピュータ関係の専門学校をでた若者の方が詳しい。ここでいうコンピュータのノウハウとは印刷物を作っていく上での深い経験に基づいたものだ。印刷の経験とコンピュータのノウハウの累乗こそDTPサバイバルの必須条件なのである。
「刷り屋」に徹するというのもひとつの方法ではあるだろうが、「刷り」だけでは儲からないから、日本中の印刷屋が苦しんでいるのではなかったか。確かにコンピュータで食っていくのも苦しいことに違いはないが、DTPは設備投資よりも、従業員の技の勝負という点で、あらたな、職人の時代をもたらすともいえるのである。職人の技というのは、日本の産業の原点なのだ。日本は資源にはめぐまれなかったが、人にめぐまれた。今の若い社員たちが、次々とあたらしいソフトに取り組んで成果をあげている姿をみるとき、未来は明るいと思う。活版の職人が去ったあとには、あらたな電算の職人が着実に育っているのだ。