さて、「若旦那コンピュータ奮闘記」もめでたく5年目になりました。このまま永遠に続くか、続かないかはひとえに読者のみなさまのご声援にかかっております。ただ、永遠につづきえないところが、ひとつ。そう「若旦那」というこの表題。いくつになるまで、この若旦那という名称が使えるかと言うのはちょっと問題であって、もう、私も42歳。そろそろ「若旦那」というのも、卒業したいという気もあるし、まだまだ「若旦那」らしく、やんちゃにやっていたいという気もある。
しかし、私が「若旦那」だと、次の世代の諸君たちはどう呼んでやったらいいのだろう。ふと気がついてみると、私の属する研究会やフォーラムでも、30歳前後のいきのいい連中が台頭しはじめている。私が、いろいろな研究会や、パソコン通信の「印刷フォーラム」に顔をつっこみはじめたのは、同じく30歳ぐらいだったから、もはや一世代まわったわけだ。「若旦那」より若いので「若々旦那」とここでは呼んでみる。
「若々旦那」世代の特徴は、印刷のそれもプリプレスに関してはコンピュータしかしらないということだ。私の世代は、いまでこそコンピュータに浸りこんでいるが、入社初日にはコンピュータなど会社になく、最初は鉛活字を拾わされたものだ。活字を扱って、その問題点を体で覚えた上で、電算に正面からぶつかっていった世代である。「若々旦那」世代は入社時にはすでに電算が会社にあった。現場研修は、電算写植のコードを書くというところからはじまっている。その意味で、電算にたいして、わたしたち「若旦那」世代のような、かまえた態度がない。電算の発想をあたり前だと思っている。いはば、電算第二世代である。われわれ、電算第一世代が中堅の年齢に達すると同時に彼らが「若手経営者」として登場してきたわけだ。
なんでもそうだが、若いときの経験はなにものにも換え難い。我々の上の世代である団塊の世代(現在50歳前後)は、コンピュータはまだ若いときに手に触れられるような物ではなかった。その意味で、今になってコンピュータといわれてもとまどいがあるだろう。そういった意味では少し気の毒な気もする。我々の世代(現在40歳前後)にしてようやっと、大学時代に計算機実習や出はじめのパソコンを通じて、コンピュータを知った。
「若々旦那」は、コンピュータが印刷の中枢になることをすでに認識した上で、この業界にはいってきた。中には、大学をその関係の専攻ででたり、わざわざコンピュータ関係の専門学校へ行ったという例もある。親も積極的にコンピュータを学ばせたようだ。
近ごろの「若々旦那」連中のパワーには負ける。私なんか、こういう連載もやっているぐらいだから、相当意識して電算関係の知識を吸収しようとしているつもりだが、彼らの知識の吸収力は旺盛だし、発想は斬新だ。いまは、CTPやオンデマンドに熱中しているようだが、PDFやFMスクリーニングといったあらたな印刷技術にもどんどん挑戦してくる。CD-ROMやインターネットにいたっては趣味でやっているとしか思えないぐらいのめりこむ。
もっとも、どんな時代でもそうだったのかもしれない。平版印刷がはじまったときも、手動写植がはじまったときも、実際に現場を指導し、事業として軌道にのせていったのは、「若旦那」たちだった。若旦那の親父たちが、労務問題や資金繰りを一手に引き受けている間に、こうした若い世代が、その次の時代の印刷技術に挑戦し、ものにし、そして経営者として成熟していったのだ。
がんばれ「若々旦那」。君達が日本の印刷の未来を背負っているのだ。