第64回 終点・CTP|学会誌・学術印刷全般・学会業務受託など、文化学術の発展に貢献する中西印刷

第64回 終点・CTP

 「製版のご用はございませんか」


と、製版屋さんが営業に来た。今まで取引のないところで、飛び込みの営業らしい。


「ごめんね。この前、CTPを導入したばっかりだ」


というと、さすがにその製版屋さんは落胆あらわだった。CTPは、コンピュータトゥープレート。コンピュータの出力を印画紙やフィルムではなく、PS版に直接出力してしまう。製版屋さんというのは、基本的に版下を受け取って、フィルムを作り、PS版を焼くのが仕事だから、その間の工程を省略してしまうCTPが普及すればつらいだろう。


 CTPは印刷コンピュータ革命のひとつの終着点である。コンピュータで刷版を作るのだ。これで、すくなくともプリプレスという分野はすべてコンピュータ化デジタル化してしまったことになる。オフセット平版印刷を前提とする限り、これ以上コンピュータでやることはない。もちろん、オンデマンド印刷とか、マルチメディア展開といった分野ではまだまだ気の遠くなるような大変革が予想されるが、いわゆる従来言う意味での「印刷」ではCTPが一区切りであるのは疑いない。確かに、CTPだって、完成した機械ではないから、まだまだスピードも上がるだろうし、精度や解像度も向上するだろう。が、そうした細かな向上は革命と呼べるような物ではない。


 ついにここまできたんだなあとつくづく思う。思えば、15年前、活版とモノタイプしかなかった工場に、ワープロ1台がはいってきたのがすべてのはじまりだった。それから、電算写植、DTPと移り変わり、今や、パソコンが1人1台、会社中にLANケーブルが張り巡らされ、デジタルデータが会社中を縦横に行き交うまでになった。


 最初の頃は電算写植といえども、印画紙で出力してから、版下フィニッシュなんて手作業が必要だった。それが、ほとんどコンピュータの上で組み上げられるようになり、セッタによるフィルム出力、線画取り込みと進むたびに、コンピュータが増え、手作業は減っていった。最後にアナログ工程として残っていた写真のデジタル化が完了するとともに、フィルムを作る必要性はまったくなくなってしまう。それを見越してのCTPである。


 もっとも、CTPも順調に動くまでは大変だ。新規導入機にありがちだが、テストデータを出力している間は、そんなに問題もでないのに、いざ、実際のデータを流し込んでみると、まともにでない。不安なのは、フィルムを作らないから当然といえば当然なのだが青焼きがないことだ。青焼きによる最終チェックというワークフローそのものがなりたたない。それに、背丁とか、乱丁防止マークとか、今まで、製版での手作業でなんとかしのいできたような仕事もみんなコンピュータが頼りである。最大の難物は面付けだ。フィルム出力の時も面付けはできなくはないが、ちょっとこみいったものだとお手上げだった。やってやれないことはないが、面倒なので、とりあえずページをバラバラにフィルム出力し、手で並べたり、切り貼りしたりしてなんとかしのいできた。これからはこれもコンピュータだ。ええい、手でやれば楽な物をと隔靴掻痒の気分にさせられることしばし。


 あれ、この感じはどこかで経験したなと思ったら、フルページネーションをはじめたころの電算写植だ。あのころだって、「こんなもん、無理にコンピュータで組まなくても、切り貼りでやればすぐだ」というオペレーターをなだめて、「フルページネーションができなければ、セッターによるフィルム出力なんかできないのだから」と説得していたのを思い出す。CTPでは、これからさらに一歩も二歩も進む。もうフィルムになってから切り貼りという技も一切使えない。人間の手がなにもはいらない。わかりきったことのはずだけれど、デジタル化の終点とは手作業がプリプレスの現場から全く消えることでもあった。



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