第76回 デジタル分業|学会誌・学術印刷全般・学会業務受託など、文化学術の発展に貢献する中西印刷

第76回 デジタル分業

 たとえば、やたらに図の多い仕事を受注したとする。図といっても線画、先方支給の紙原稿をひたすらスキャニングするというような仕事です。こういった場合、DTPのセクションで、しこしこ一枚一枚スキャンしはじめるしかしようがないだろうか。もちろん、こんな仕事が定期的にはいるんだったら、線画スキャニング専門の部署でも作るし、自動紙送りつきスキャナでも買うだろうけれど、普通はこういう場合外注にだしたくなる。


 ところが、線画読み取りだけの外注先って、意外にないのである。すくなくとも京都ではそうだった。以前、線画を紙焼きで拡大縮小やっていた頃は製版屋でやっていたから、製版屋さんに声をかけてみたのだが芳しい返事がない。


 線画をデジタルスキャニングする、そしてそれをデータでおさめてもらう、解像度はなになにで、データフォーマットはこれこれ、スキャンできたらネットでおくってください、というそれだけの仕事。なのに、何軒か声をかけたけれど、できないという。できてもやたらに値段が高かったりする。みなさんそれぞれに充分にデジタル化投資をやって、マックを何台もいれているような会社なのにですよ。


 理由は、「やったことがないから」「価格計算できないから」などなどだが、どうも製版屋さんはフィルムとか刷版とかを作るのが仕事という固定観念から抜けだせないものらしい。データだけの納品にイメージがわかないし、価格もつけられないのだ。


 値段が「ひきあわない」という理由もあった。うちの呈示価格が社内原価からわりだした価格だから、わからないでもないけれど、要するに仕事を大げさに考えすぎだ。ゴミのひとつついてたって、校正で問題になってからとればいいし、最近は、縮小倍率なんか、DTPソフト上でいくらでもいじれるのだから、必死になって精密にあわせることはない。しかし、そういう注文の仕方がまた製版屋のプライドを傷つけるらしい。


 印刷業に限った話ではないけれど、日本の中小企業は分業でなりたっていた。極端な話、ひとつの工程にひとつの会社という体制が日本の工業の末端を支えてきた。印刷物ができあがるまで、写植屋、製版屋、刷り屋、製本屋とそれぞれ違う会社を経るというのも珍しくはない。ブローカーなんて商売がなりたつのも、工程別の会社があればこそだ。


 フルデジタル時代になって、この従来型の分業体制が必ずしも、適切ではなくなってきている。フルデジタルはご存じの通り、上流から下流まで一気にコンピュータの中で処理するわけだから、工程ごとに分離というのは確かに無理がある。おそらく、製版と写植は合体して、プリプレス業というものになってしまうだろう。しかし、みんながみんなプリプレス業になってしまったとしても、今回の例のように、一社で仕事していたのでは非効率という場合もまたあるのである。その分業のやり方は確かに今までとは違うと思うし、簡単に体制を築けるものでもないだろう。ただ、仕事が減ったと嘆く前に、新たな分業体制の中に、仕事の領域を見いだす努力ぐらいしてもいいと思うのだが。


 おそらく、一番の問題は、こちらの意図を製版屋の営業がしっかり理解できないということかもしれない。「線画のみの読みとり」は何に使って、どの程度の品質が必要かということがわかっていない。大体、デジタル用語を理解できない営業が多すぎる。解像度と画像フォーマットいうような基本事項ですら理解していない。会社の最前線にたつ営業には自社の仕事内容をしっかり把握して、なおかつ次世代の仕事をかぎわける能力をもってもらいたいものだ。まあ、これはうちの営業にも言えることだろうけれど。



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