第46回 Windows98|学会誌・学術印刷全般・学会業務受託など、文化学術の発展に貢献する中西印刷

第46回 Windows98

Windows98なのだ。Windows95の時も、このコラムでとりあげたが、95から98へ3年たったことになる。やはり今回も発売日の7月25日に買ってインストールしてしまった。もちろん、自宅のパソコンだけだ。会社のWindowsマシンはLANにつなぎまくってある上に、微妙な設定が必要なDTPソフトが載っているので、おいそれとOSのバージョンアップなんてできない。


ここで、OSというものの意味だけれど、日本語では基本ソフトと言ったりしている。コンピュータを使う上での一番大元の部分をうけもつソフトウェアのことだ。コンビュータのスイッチをいれるとまずたちあがるのがOSで、その上で、ワープロなり表計算なりのアプリケーションソフトウェアを動かすことになる。OSがかわれば、アプリケーションは一から組み替えねばならないので、その動向はアプリケーションメーカーにとっては死活問題なのだ。小型コンピュータのOSは、現在、Windows、Macintosh、UNIXの3つに絞られている。WindowsとMacintoshはパソコン市場で激しく争ってきたが、最近ではWindowsが寡占の様相を呈しているのは御存知の通り。


 ふー、疲れた。読む人も疲れたでしょう。まあ、そのパソコン市場を牛耳っているWindowsのバージョンアップだからこそ、社会的話題になるのである。もちろん、社会的話題になりうるのはパソコンというものが普及すればこそである。もはやパソコン抜きでは現代社会は語れない。


 さて、95をインストールして何がかわったか。たいしてかわってなかった。3.1から95へのバージョンアップでは、スタート画面からして目にみえて「かわった」という感があったし、ファイル名が3.1の時には8字しかゆるされず不自由きわまりなかったが、95では事実上自由にファイル名がつけられるようになった。自由なファイル名は本当に便利でもはや3.1には絶対に戻れない。


 95から98へかわっても、劇的な変化こそないが、インターネットとの接続がきわめて楽になっていたのには感心した。今回の95から98へのバージョンアップではこのインターネットとの結合に力がはいっていて、そのためにWindowsの発売元マイクロソフトとアメリカの司法省が喧嘩したというのは記憶に新しいところだ。本当に、プロバイダの電話番号を入力するぐらいで、あとは何もしなくても勝手にインターネットにつないでくれるのである。3年前、慣れぬインターネット用語に悪戦苦闘しながら、1週間もかけてインターネットに接続していたときのことを考えると夢のようだ。98の登場でインターネットの普及は確実に進展すると思う。


 ただ、起動速度が速くなると聞いていたのに、かえっておそくなっていたし、アプリケーションソフトによっては、ほとんど動かなくなってしまった。ものによってはハングしてとまってしまうものまである。98をいれてからの1週間はこの動かなくなったり、動作が遅くなったりする原因究明と対策に追われることになってしまった。コンピュータはこれが大変だ。初心者はおそらくこの段階で挫折してしまうのだろう。思い通りに動かない機械ほどやっかいなものはない。


 こういうときはパソコン通信やインターネットをかけめぐって情報を収集するに限る。インターネットに流布された情報で対策をとれるものもあったが、98自体の仕様の問題もあるようだ。私のくだらない設定ミスもある。もっとも最大の原因は、動いているコンピュータの基本中の基本ソフトであるOSをとりかえたことだ。機械がいくら進化したにせよ、こんなことどだい無茶なのだ。今も動きの鈍いエディタでこの原稿を書いている。



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