第68回 出発・CTP|学会誌・学術印刷全般・学会業務受託など、文化学術の発展に貢献する中西印刷

第68回 出発・CTP

 昨年暮れに導入したCTPがやっと本格的に動き出した。調子よく動くまではいささか時間がかかったが、動き出すとものすごい切れ味である。速い。今まで、組み版完了から、刷版出力まで、なんだかんだと1時間半くらいはかかったものが、30分である。急ぎの仕事のときにはこの1時間の短縮はありがたい。なにしろ、まったく製版の手を経ないのだから、フィルム撮りもなければオペイクもない。組版データが、コンピュータからCTPに送り込まれたと思うと、もうウインウインいいながら、刷版がでてくる。これはもう快感ですよ。


 今まで、電子化がすすむたびに印刷工程がどんどん便利になっていくのを経験してきたが、このCTPの工程圧縮効果はその中でも特筆に値する。まず、DTP組み版の連中が「楽になった」と口を揃えて言う。これは当たり前で、彼らはイメージセッタのおもりをしなくてもよくなったのである。電算写植の時代から、組み版オペレータは印画紙やフィルムをだしては現像するという畑違いの作業をせざるを得なかった。たとえインラインの現像機をつけたとしても、現像液の処理とか、紙詰まり、フィルム詰まりの処理まで、世話をしなければならなかった。これがなくなったわけだ。会社全体の流れから見れば、以前は現像という厄介な作業がフィルムだしと刷版焼きの2回あったのに対し、CTPでは、刷版焼きの1回だけになるということなのだ。


 もちろん、導入のとき、「終点・CTP」としてこのコラムでも書いたように、ここにいたるまでは簡単ではなかった。どんな機械でもそうだけれど、メーカーの営業が言うとおりに買ったとたんに、新しい機械があっさり動くということは絶対ない。夢のような自動化達成と買う前には聞いていたとしても、実際にそのように動くまでには、気の遠くなるようなめんどうな作業が必要だし、なにより社員の習熟が前提となる。それに、近頃の機械全般にいえることだけれど、CTPはコンピュータ技術の塊である。今までの機械のように、「習うより慣れろ」は通用しない。原理がある程度わからないと動かすところまでもいかない。


 やはりフルデジタルということのもつ重みだ。フルデジタル化とは文字から、線画、写真までをコンピュータで面倒見るということでのみ語られてきたが、それだけではない。むしろ、今まで手でやっていたことをなにからなにまでコンピュータでやるということこそフルデジタルの本当の意味なのではないか。面付けも、トンボも、背丁も、乱丁防止のためのマークも全部コンピュータでやる。慣れた製版職人がやれば、テープ1枚貼り付けて、1分でできるようなことでも、一個一個、コンピュータに位置の情報を数値で入力していかねばならない。一見、かえって面倒なようだが、数値が入力できたあとはすごい。同じパターン、たとえば、A4、16ページならば、一度入力されたデータが徹底的に役に立つ。人間なら面付けなども、ついうっかり忘れることもある、間違えることもある。コンピュータは絶対に忘れない、間違えない。


  ただ、そうしたページのパターンには限りがあるのだから、面付けデータなどは、いずれはすべてのパターンが蓄積されるだろう。そのあとだ。それですべては終わりなのだろうか。印刷製版現場で、もはややることはなくなるのだろうか。そんなことはありえない。おそらく、CTPとフルデジタルを前提としたあらたなビジネスモデルができてくるだけのことだ。今まではフルデジタル化のみ目指していれば、それがプリプレスの合理化だった。これからはそうはいかない。CTP導入によるフルデジタル化は出発点にすぎない。それでなにをするかが問われる時代になったということだ。やることはまだまだある。。



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