第7回 Windows Vistaに想う|学会誌・学術印刷全般・学会業務受託など、文化学術の発展に貢献する中西印刷

第7回 Windows Vistaに想う

 Windows Vistaを買った。遅ればせながらとつけた方がいいのかもしれない。ただし、今回はVistaを買おうとして買ったのではない。古いノートパソコンがつぶれて(ノートパソコンは持ち歩くせいか、確実に年月とともにつぶれる)、新しいノートパソコンを買ったら、Windows Vistaだっただけのことだ。以前のバージョンXPを選択することもできたが、わざわざ意図してXPを求めるという理由も感じなかった。


 要するに、OSなどどちらでもよかったのである。Vistaの評判は聞いてはいた。セキュリティの向上とか、検索のしやすさとか、画面が3Dで重なって見えるフリップ3Dの威力とか、それなりに知ってはいた。しかしXPから積極的に変えようと思わせるほどではなかった。これは私一人の感想ではなくVistaの巷間の評判もそんなものだ。実際使ってみると、画面などに目新しさはあるものの取り立てていうほどのこともない。フリップ3Dもやってみたがすぐに飽きた。


 昔のOSの更新は、ある種興奮をともなったイベントだった。一番印象深いのは、Windows3.1からWindows95に変わったときだろうか。それこそ3.1で不満だったところがことごとく解消されていたし、インターネットにデフォルトでつながるということの驚きと喜びは今でも覚えている。その後、Windows98、2000、XPとかわるたびにそうした興奮はなくなっていった。それはこちらが年をとったからかもしれない。オタクと呼ばれる青年たちがVistaの発売を待ちかねたように買って帰る姿も確かにテレビでみた。だが、それも一時のこと、Vistaそのものが消費者に購買欲をそれほど起こさせないのである。


 Vistaは本当に必要なのだろうか。Vistaの検索が使いやすいといっても、ビジネスマンは検索機能そのものを使わない。フォルダを整理し命名規則をしっかり定めればファイルは探し出せる。逆にそれぐらいでないと多数の人がサーバーを通じてファイルを共有できない。セキュリティ機能の向上も確かに重要だろうが、通常の場面ではその重要性はなかなか認識できない。つまり、われわれはXPで満足していた。


 それでもVistaは開発されたし次のOSもまた開発されるだろう。開発しないことにはソフトメーカーはもたない。ソフトは古びることはあるが、そのまま使おうとすれば永遠に使えてしまう。現に、印刷関係の特殊なソフトなどは後継が開発されないまま数世代前のパソコンOSで動かしていたりする。古いソフトを永久に使われたのではソフトメーカーは干上がってしまう。売り上げを維持するためにはなんとしてでも新商品かバージョンアップを繰り返さざるをえない。商品はある意味では何でもそうだ。自動車も新たな購買欲を刺激するため新機能を装備しデザインを変えた車が次から次へと発売される。自動車は風雨にさらされながら道路を走りつづけるという過酷な条件にさらされるから永遠に使われることにはないにせよ、本来5年や10年で使えなくなるということはない。


 それでもこうした皮肉な見方は消費者の立場にたってのこと、同じ、企業人としては、新商品でもバージョンアップでも需要を喚起できるのはうらやましい。印刷業界はどうなのだろう。我々にはもはや画期的な新商品はない。1色を4色に増やしたとき確かに需要はあった。我々はさらなる需要を喚起し、新たな市場を掘り起こすために、5色にし6色にしようとしている。しかし、消費者は必ずしも5色印刷をのぞんでいないように見える。というより、必要を感じていない。もちろん発売日に徹夜で並んでVistaを手にいれるVistaフリークがいるように、熱狂的な一部個人はより綺麗な印刷を求めるだろうが、それはあくまで少数のことだ。そうとはわかりつつも、新しい機械に換えて、他社と差別化を図らなくては未来はない。印刷のように成熟した商品にはあとひとつの付加価値をつけくわえるのはより難しく、その差はわずかでしかない。それでも、進まなくては企業は生き残れない。うーむ。Vistaの悪口を言っているより、Vistaを見習って新商品を開発している方が建設的かなあ。



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