第102回 ウェアラブルコンピュータはまだか|学会誌・学術印刷全般・学会業務受託など、文化学術の発展に貢献する中西印刷

第102回 ウェアラブルコンピュータはまだか

 最近、立食パーティーに出ることが多い。呼ばれる場合もあるし、押しかけることもある。なんといっても立食パーティーは人脈を拡げるいい機会だからだ。しかし、最近は人の名前がなかなか覚えられないし、顔はわかっても名前や肩書きを思い出せないことがしばしばだ。たいてい胸に名札がついているので、名前はわかることもあるが、それでも、どこで何をしている人かがわからないこともある。


 「くっそー、こういうときにyahooかgoogleが叩けたら」


 と思ってしまう。最近はわからないことがあったら、インターネットの検索エンジンで探すことがもう癖になってしまっている。その中でも人名検索は実用性が高い。同姓同名の人がひっかかってきたり、どこかの名簿の中に羅列された名前がヒットするだけということもあるが、なにかしら、関係するページがひっかかってくる。著書があったり、どこかの委員会で委員をつとめているような大物(パーティでお近づきになりたいのはたいていこの手の大物である)なら、その人の背景や大物度がだいたいわかってくる。


 パーティー会場に登場することがわかっている人なら、あらかじめ調査をしてお近づき作戦を開始するわけだが、たいていは思いもかけない人が来ている。そして、この思いもかけない人こそが長年お知り合いになりたかった人だったりするわけなのだ。パーティー会場ですぐにデータベースをくって、その人の著作名ぐらいは調べないと、


「先生の御著書、拝見しております(読んでおりますとは言えない)」


といって近づけない。


 PDAを持ち運ぶという手もあるが、パーティー会場で避けたい。どうもパーティーにPDAは、スマートじゃない。スモークサーモンの皿を左手にビールのグラスを右手にもっていたら、PDAの操作もできないではないか。私は思わずさけんだ。


「ウェアラブルコンピュータはまだか」


 ウェアラブルコンピュータ、つまり着られるコンピュータである。かけている眼鏡の裏に、コンピュータの画面が自由に呼び出せ、本体はポケットにすっとはいってしまう。眼鏡に写るコンピュータのディスプレイ画面と眼鏡越しの外の景色は同時に目に入ってくる。ウェアラブルコンピュータのポインティングデバイスはいろいろ考えられているが、パーティー会場で両手がふさがっているとなると、まぶたクリックだろう。まぶたをあけしめ、つまりウィンクしたら、クリックである。ポインティングそのものは、目線でいい。つまり、目線で当該の人をおいかけていき、その人の名札をとらえてロックオンしたら、まぶたでクリックである。その名札にかかれた名前は当然画像認識でテキストに変換され、瞬時にネットに流され、その人に関するあらゆる情報がめがねの裏に呼び出される。


 もちろん、こんなものはまだ開発されていない。次世代デバイスの夢物語のひとつである。だから、私は「まだか」と叫ぶしかできないわけだ。


 ウェアラブルコンピュータはさらに限りない可能性がある。たとえば、ウエアラブルコンピュータ社会での名刺交換は、お互いのウエアラブルコンピュータに無線LAN(のようなもの)を使って、データを送り合い、眼鏡型ディスプレイに投射することになるだろう。もうそうなってくると、コンピュータの作り出すサイバー空間と眼鏡の向こう側にみえている実空間がシームレスにつながってしまう。たぶん、文化や社会というのも根本的にかわってしまうだろう。


 ウエアラブルコンピュータの登場は、現在のデバイスの進化速度を考えるとそんなに遠い未来ではないだろう。おそらく、今年から来年にかけて登場する折りたためる液晶(のような)を使った、極薄型、高精細の電子ブックも、早晩、ウェアラブルコンピュータに置き換えられて過渡的商品となるかもしれない。まだまだ話題として早い? いえいえ、コンピュータが印刷会社にはいりはじめてから20年しかたっていないことを考えれば。



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