ユニコードに関する国際会議が、4月8日から10日にかけて、東京で開かれた。第12回になるこの会議が日本で開かれたのははじめてのことだ。筆者は、なぜかこの国際会議で基調講演をやることになり、大勢の外国人の前で漢字の多様性について話してきた。
そう、それにしてものユニコードである。あの悪名高き、国際漢字コードCJKユニファイドのユニコードである。私にしてからが、本誌1995年11月号で、盛大に悪口を書いている。そのときに書いているのは要するに「日本とか中国とかの事情を無視して、アメリカの西海岸のコンピュータ会社が勝手に国際標準と称して、すでに普及している日本のJISとはことなる漢字コードをおしつけた。けしからん」ということにつきる。最近マスコミでユニコードをたたいているのも、ほぼこの論旨だ。つけくわえれば、統合漢字に採択された漢字種の不備の問題にふれている物があるぐらいか。
なんでまた、悪口をいいまくった私に基調講演の役がふられたかということになるのだが、これには大げさにいえば、二代にわたる因縁なのだ。全世界のすべての文字をひとつのコード体系にとりこもうというユニコードの野心的な試みを行うにあたって、亡き父の著書「世界の文字」が大いに役だったらしい。「世界の文字」は世界中のあらゆる文字を平板に並べて、辞書的に解説したもので、今から思えば、ユニコードのコンセプトを先取りしていたともいえる。ユニコードを推進する人々にとっては、父の本は「バイブル」とまで言われていると聞いて驚いた。また、その息子が、漢字コード問題について発言をしたりしているものだから、一度、しゃべらせようということになったもののようだ。
その機会をとらえて、ユニコードコンソーシァムの人たち(ユニコーダーと自称していた)と話をしたのだが、結論から言えば、私は折伏されてしまった。特に、日本から唯一ユニコードコンソーシアムのフルメンバーとして参加しているジャストシステムの小林龍生氏には色々教えられた。まずは、「西海岸のコンピュータ会社が勝手に国際標準としておしつけた」というのが悪意に満ちた解釈であって、国際的なビジネスシーンでは野心的な企業が集まって、公的な基準を待たずにデファクトスタンダードを作るというのはしごく当然な行動だということ。そして、漢字というのは、全世界にあまたある文字体系のひとつであって、それが国際的な基準の中で、別格の存在であるというのは日本人の思いこみにすぎないということ。漢字制限の問題についても、仕組みの上でも、実際に収録される漢字の数の上でも常に改善の努力がなされており、ユニコードで「漢字表現の幅がせばめられる」というのは必ずしもあたらないということなどなど。
おあいしたユニコーダーの人々は本当に誠実だった。みなさん謙虚に東アジアの人々の言い分に耳を傾けようとしているという印象を受けた。結局のところ、もはや、ユニコードという枠組みは動かしようがないだろうから、その範囲内で日本人の主張を明確に述べることが重要だろう。もっとも、私は英語が得意じゃないので通訳がわりに家内をつれて行ったのだけれど、話していて非常にもどかしかった。国際舞台で、丁々発止と外国人メンバーとやりあっている日本人ユニコーダー達にはがんばってほしい。
ところで、私の基調講演はあれでよかったのかな。日本の印刷と漢字の多様性というような問題を話したのだけれど、ほとんどの漢字圏以外の人にとっては、どうでもいいことだったのではなかろうか。まあ、あれだけ言っておけば、とにかく漢字には膨大な数のコード割り当てが必要だということぐらいはわかってもらえたのではないかな。ちなみに、この講演の同時通訳もやはり妻、成子にやってもらった。ここでも結局中小企業は家内工業なのだった。