第56回 デジカメ時代|学会誌・学術印刷全般・学会業務受託など、文化学術の発展に貢献する中西印刷

第56回 デジカメ時代

 遅ればせながら、デジカメを買った。新しもの好きをもって自認する私だけれど、デジカメだけは今までどうも手がでなかった。他に買いたい物が多すぎるし、そもそも、私はことカメラに関しては一眼レフ信者なのだ。もちろん、ホームページへの写真掲載などはデジタル画像でないといけないが、こうした場合は普通の一眼レフカメラで撮った綺麗な紙焼き写真をフラットベッドスキャナで入力してデジタル化していた。このやり方で必要にして十分だと長く思っていた。


 ただ、どうもホームページの写真をスキャナで入力すると、ぼける。輪郭がシャープでなく、写真用語でいうところの「カリっとしあがらない」。よその、ホームページには馬鹿に綺麗な写真が載っていて、どうやればそれが可能なのか不思議でならなかった。私の方はスキャナ付属のソフトで、いろいろ入力設定を変えてみるのだが、あまり芳しい変化はない。スキャナが悪いのかと思って、プロ用のスキャナで撮ってみたこともあるが、それほど画質は向上しない。試行錯誤を繰り返しながら、他の綺麗なホームページ写真がデジカメで撮ったものじゃないかということに気がつくのに時間はかからなかった。 もうひとつデジカメがあれば便利だろうと思うようになったのは、社内報をフルデジタル、オンデマンド印刷で作るようになったからだ。フルデジタルでは、文字はもちろん、図形も写真もみんなデジタル化せねばならない。撮影途中でも自由に写真をとりだせて、すぐにデジタル画像として扱えるデジカメに手が伸びたのは自然のなりゆきだった。 いざ、使ってみて、はまった。


 写真を1枚とって、すぐにコンピュータで見られると言うのは、快感である。気に入れば、そのままホームページに載せてしまえる。もちろんその写真はシャープに「かりっとしあがり」綺麗だ。社内報にはむろん重宝した。


 なにせ、フィルムがいらない。写真の画素数(精度)を落とせば、280枚というような枚数を連続して撮れる。しかもデジカメの画像データが満杯になれば、コンピュータのハードディスクに画像を吸い上げ、デジカメのデータをクリアし、また一から撮れる。結果としてシャッターを押すことに躊躇がいらないから写真がいくらでもたまっていく。 そして、たまりにたまった写真をプリントしたくなってきた。デジカメでも結構いい写真が撮れたりすると、他の一眼レフ写真と並べて、アルバムにはりたくなってくるのだ。


 デジタルカメラ専用と称したカラープリンタにフォトクオリティ紙なるものを買い求めて、プリントアウトをこころみた。うーーん。期待していたのだが、こちらはもうひとつだ。130万画素で撮ったものでも、粒子がめだってしまう。明らかにカラープリンタ的な表現になってしまって、一眼レフ写真のような「カリッとしたしあがり」にならない。これは画素数をあげてもダメで、カラープリンタの限界のようだ。


 というわけで、ちょっとした行楽にもデジカメと一眼レフ両方を首にぶらさげて出かける羽目になった。ホームページにのせたい情景と、アルバムに貼りたい情景はたいてい重なるわけで、その両方の目的を達するためには、いつもデジカメと一眼レフでとっておかねばならない。馬鹿げているとは思うのだが、どちらも棄てがたい。場合によって、持っていくカメラを使い分けてはとも思うが、ふみきれない。これにデジタルビデオまで持ち歩くのだから、行楽なのか、カメラ運搬なのかわからないことになる。


 その昔、カラーと白黒のカメラ、それに8ミリ映画カメラの3台を首にぶらさげてパリを歩いたというおじいちゃんのことを笑えませんね。アナログがデジタルにかわっただけで、やってることは3代続けて同じだったりする。



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