第106回 ロンドンタイプミュージアムにて|学会誌・学術印刷全般・学会業務受託など、文化学術の発展に貢献する中西印刷

第106回 ロンドンタイプミュージアムにて

 今年の夏もイギリスへ行ってきました。イギリスへ行ってつくづく感心するのが、自分たちが産業革命をおこし、世界に工業というものを作ったということに誇りをもっていることだ。蒸気機関車をはじめ、ありとあらゆるところで古い機械類が保存されている。 印刷とて例外ではない。今回ロンドンの「The Type Museum」を見学する機会があった。といってもまだほとんど知られていないだろう。イギリスでも知られていないかもしれない。それはまだ一般公開もされていない、ほとんど倉庫にすぎないしろものなのだ。むしろ「The Type Museum 開設準備室」と言っていいかもしれない。


 しかし、中には全世界から集められた印刷に関する資料が山積みになっていた。日本語の写植機や中国語のタイプライターなども集められていたが、目立つのはMonotype関連の資料である。特にその父型のコレクションの量はとにかくすさまじかった。専従の職員が2人ほどで、目録づくりにせいをだしているのだが、いったいいつになるのだろうかと心配になってきたほどだった。


 Monotypeは現在フォントのブランドになってしまっているが、本来は活版自動鋳植機のメーカーである。日本では活版というと手拾いのイメージが強い。日本語モノタイプもあるにはあったが、まともに動き出したのは活版も末期になってからだ。それに対し、欧米では20世紀初頭からモノタイプが使われており、印刷というとまずモノタイプのキーボードという時代が長かった。今、イギリスの印刷会社で電子組版の責任者をしているような人も、最初はモノタイプのオペレーターといった経歴が多いようだ。それだけに活版がなくなると同時にモノタイプが消えていく事への思いは複雑な物があったようだ。Monotypeの工場が閉鎖される時、とにかく重要な物をここThe Type Museumへ運んだ物らしい。母型の受注記録がすべて残っていた。当社のもあるはずだと探したが、残念ながら全世界からの受注記録はあまりに膨大で発見するには時間がたらなかった。


 そして、ここは死んだ機械の墓場ではなかった。まだ母型が作られていたのだ。それも、単なる博物館の保存事業としてではなく、れっきとした需要があるという。モノタイプの母型の注文がまだ活版を使い続けている国々から舞い込んでくるのだ。それを実際に作り続けている。私が訪問したとき、エチオピアのアムハラ文字の母型が作られていた。途上国からの注文に高額な請求ができるわけではないが、わずかでも博物館の運営費用のたしになり、なおかつ、技術の保存もできるので作りつづけているという。


 なんという国だろう。一度生産した機械は需要のある限り、メンテナンスを行い続けるということなのだ。翻って、日本のメーカーはコンピュータが印刷業界に導入されて以来、どれだけの機械を印刷業界に売り込み、そして、撤退していったことだろう。撤退後のメンテナンスは何年かはしてくれた。しかし、需要がある限りという保証まではしてはくれなかった。もちろん、政府も何の援助もしてくれなかった。モノタイプの世界的影響力を考えたら同列には論じられないかもしれない。しかし、ここはイギリスという国の機械への責任感を素直に感心しておこう。


 先進国というのはこういうものなのかもしれない。変転を続ける商品の中で、変わらなくてもよいものを見つけ、それを穏やかに守っていくということに価値をみいだす。活版に限らなくても、イギリスの商品には何十年もモデルチェンジをしないものはいくらでもある。完成した物は変わる必要がないということだ。


 私はここのところ新しい製品に入れ替えて、古い物を捨てるということばかりに熱心でありすぎた。ちょっと反省。古いコンピュータでも、ちょっと拭いて、倉庫にとっておくかな。でもそれは、生きた保存とはいえないかな。



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