オンデマンド印刷という言葉が、最近、急に一般化した気がする。ついこの間まで普通の印刷人の間ですら、「それなに?」という感じだったのが大きく様変わりした。おそらく、オンデマンド印刷機を使った各種書籍販売システムがマスコミにとりあげられて、オンデマンド印刷という存在そのものが有名になったからだろう。なかでも日販のブッキング(http://www.book-ing.co.jp/)は、絶版本を作らず、オンデマンドを使ってよい本を少量でも供給し続けるという、いかにもマスコミが好きそうなコンセプトを展開したためか、新聞などにも大きくとりあげられた。目にされた方も多いだろう。
こうした動きには作家自身も敏感である。今まで、作家というのは、出版社を介在してしか、読者とふれあえなかったわけだが、インターネットとオンデマンド印刷は作家から、読者への直販ということを可能にした。中でも、オンデマンド印刷で、全集そのものをだしてしまおうという小松左京氏の試みは注目に値する。
と書いておいてなんだけれど、実は氏にオンデマンド導入を勧めたのは私であることを白状せねばならない。「日本沈没」で有名な氏はこの他にも多くの作品がある日本SF界の重鎮だが、ワープロやファックスをいち早く導入するなど、最先端の技術を常に率先して取り入れてきたことでも知られる。私は20年ほど前の学生時代から、ファンの一人として氏のところに足繁く通い、氏の映画作りの末端を手伝わせていただいたこともある。
氏の悩みは自分の個人全集がだせないことであった。氏の業績はSFに限らず、中間小説から文明批評まで幅広いのだが、なにせ多作な作家だけに、もし全集をだすとなると莫大なものになってしまう。この出版不況の時世、なかなか引き受ける出版社はなかった。
以前から、作品すべてを電子化しCD-ROMを作るというような話も出ていたのだが、やはり読者としては紙の本にこだわりたい。電子本より紙を使った本の方が、正直なところ、小説などは読みやすいのだ。幸い、CD-ROMの話がでていた時点で作品の電子アーカイブ作りはかなり進行していたので、これをオンデマンド印刷で本にすればいいじゃないかというアイデアとなったわけだ。実際の全集システム作りはゼロックスのブックパークがひきうけてくれる事になった。ブックパークは、インターネットで、本の注文をうけつけて、オンデマンドで本を制作配本するというシステムを運営している。そのコンテンツのひとつとして小松左京全集がはいるということになった(http://shop.bookpark.ne.jp/sakyo/)。本当はすべて私のところでやりたかったのだが、インターネットを使った受発注システムや、代金の回収などはいかにも中小印刷屋ではノウハウがない。
全集をだすこと自体、非常にユニークな試みだが、感心したのはインターネットで注文をうけつける際に、注文する側が好きな短編を選んで自分の好きな作品ばかりを集めた短編集を作成できるといった、オンデマンドならではの機能をいくつもそなえている点だ。このオンデマンド版全集では、コンピュータのデータそのものが、全集なのであって、読者は必要に応じて、その中から必要なデータをとりだして本にするということになる。
そこまでやるぐらいなら、インターネットで全部公開してしまえばいいようなものだが、インターネットでは、自分の作品がただでダウンロードされたり、勝手に複写されて流通されるという危険性が常にある。印税収入や著作権使用料が生活の糧であるプロ作家にとってそれは許されることではない。
オンデマンド印刷はいままでの印刷方式の代替という単に技術レベルの枠を超えて、オンデマンド印刷独自の市場を形成するというレベルにすすみつつあるのかもしれない。