第117回 ついに紙から撤退?|学会誌・学術印刷全般・学会業務受託など、文化学術の発展に貢献する中西印刷

第117回 ついに紙から撤退?

 このコラムは開始からほぼ10年。色々印刷の行く末について過激なことを言ってきた。しかし、連載当時には過激と思ったことでも、数年たって単行本にまとまるころには当たり前ということが多かった。これは私の自慢でもある。私が経験し、予測したことは確実に一般化していくのだ。「WIN600TT」で印刷組み版のWindows化を予測したし、「出発CTP」でCTP化を予測した。で、「紙からの撤退」である。はたして、この事態は一般化していくのだろうか。


 ある医学雑誌のクライアントから、「今後はインターネットだけでいい、紙の本はつくらなくていい」と連絡があった。オンラインジャーナルを製作している雑誌ではあった。50巻までは紙の雑誌とインターネットでのオンラインジャーナルを同時に発行してきた。それを51巻からは紙の冊子体の発行をやめインターネット一本にする。雑誌の発行をやめるというのだ。とはいっても、雑誌としての廃刊とか休刊ではなく、51巻は51巻として数えていくというのである。クライアントの意識としては、活版から平版にかわったときに、活版の雑誌を休刊にして平版で新創刊したわけではない、それはあくまでも同じ雑誌の技法が変化しただけ、今回のインターネットへの一本化も同じというのだ。


 今まで、インターネットにするので、紙の冊子体を作らなくなるというのは傾向としてはあった。でも、それは紙の冊子体の休刊とか廃刊の言い訳であって、紙の冊子体とインターネットとの間に直接関係はなかった。それが、歴史ある雑誌の延長として継続しているのにも関わらず冊子体は作らないと言うのである。つまるところ、インターネットはクライアントの頭の中では紙の本と全く等価になってしまっているのである。等価ならば、価格の安い方が選ばれる。当然だろう。


 オンラインジャーナルは、当初、紙の雑誌をインターネットでも見られるようにして過去分の検索をしやすくしたり、速報性を高めたりと紙の雑誌の付加機能として導入された。ところが検索があまりに便利な上に、人々が画面の上での読書に慣れてきた結果、年々、紙の雑誌よりオンラインジャーナルの重要性が高まり、4月号のこの欄で紹介したように紙の雑誌の部数を減らすというところまで来ていた。この事態をうけて、印刷屋として部数の低下をどうやって防ぐかに腐心していたところに、一気に「紙からの撤退」というわけだ。


 「紙から撤退」ほどでなくても、紙の冊子体の重要性は減るばかりである。画面上では長文が読みにくいという決定的な弱点はあるにしても、検索の容易さという利便性はそれを補ってあまりうる。以前から指摘されているように検索の重要性の大きい百科事典や学術論文の電子化は止められない。


 もちろん、これはまだ本当に、「はじまり」の「はじまり」、何百とある印刷の仕事のひとつが紙の冊子体をやめるといいだしたにすぎない。これで一気になだれをうつようにすべての雑誌がインターネット化するかというとそれは考えられない。まだまだ印刷は続くだろう。そしてこの「紙から撤退?」とクエスチョンマークがついているには理由がある。確かに一度は「撤退」が決定されたのだが、この決定、ある理由からどうやら延期されそうなのだ。


 行政からの出版への補助金は「紙の冊子体」を対象にしており、オンラインだけの出版では出ないというのだ。学術雑誌は補助金が命。補助金がなければ、そもそもインターネット上のオンラインジャーナルにしたところで雑誌を発行できるかはわからない。行政の硬直ともいうべきだが、印刷屋としてはとりあえず助かったことになる。時代はまだ「紙がない」ということに抵抗を示しているということなのだろう。


 しかし、あくまで「延期」なのだ。紙が見直されたのではないわけで・・・・



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