第14回 携帯ゲーム機は電子書籍の救世主となるか|学会誌・学術印刷全般・学会業務受託など、文化学術の発展に貢献する中西印刷

第14回 携帯ゲーム機は電子書籍の救世主となるか

 携帯ゲーム機は子供の必需品だが、任天堂はそれを大人の世界にまでもちこみ、またも大きな成功をおさめている。脳トレ(「脳を鍛える大人のDSトレーニング」)などの大人向けソフトは大ヒットという。少子化の中、子供への商売だけでは頭打ちなのをみこした戦略なのだとは思うが、慧眼おそれいりましたという他ない。


 テレビゲームが子供の読書時間を奪ったというのはもう周知の事実だが、こうなると大人の読書時間まで奪っていくことになる。これだけでも印刷屋は寒くなっているのに、「ニンテンドーDSで文学全集」という報道には驚いた。ニンテンドーDSはすでに説明するまでもないと思うが、手帳サイズくらいの携帯ゲーム機で、携帯性をたかめるために折りたたみ式になっており、開くと画面が2つ現れる。これで文学全集というのは、各種文学作品のピューアーとコンテンツが一体化したゲームソフトが提供されたことをさす。


 読書用端末の画面で本を読ませるという発想は今にはじまったわけではなく、それこそ20年近く前から手を変え品をかえ何度も市場に投入されてきている。ただ、成功したという話は聞かない。最近のシグマブックやリブリエも発売当初こそ話題になったが、結局普及していない。その間に携帯電話によるケータイ小説がはやってしまったのはご承知の通り。


 ケータイ小説がなぜ普及したのかを考えると、まず読書端末としての携帯電話がそこにあったということが大きい。今の若者で携帯電話をもたないなどというのはよほどの変人か信念の人だけだろう。すでにあるもので小説が読めるわけだから、簡単に始められる。これが専用読書端末だとわざわざその端末を買うという壁が大きくたちはだかる。


 やはり、本を読むためだけに数万円からの投資をするというのはかなり無理がある。実はこの私も自費で専用読書端末を買ったことはない。もらったり、貸与されたことはあるが、自分から買おうとはどうしても思えなかった。文庫本が500円で買えるときに、わざわざ端末を買う必然性がない。文庫本はコンテンツソフトであると同時にすぐれた表示装置でもある。紙というのは優れた文書表示ビューアーなのだ。


 ニンテンドーDSの場合はどうか。冒頭書いたように、これはきわめて普及度が高い。2007年末には国内で2000万台(!)を超えたと言われる。実は私も、英会話の勉強用(こんなものまでDSソフトにはある)にと一台買ってたあったので、このDS文学全集の話を聞いたとき、即座にソフトだけを買った。定価は2800円だが実売価格はもっと安い。いずれにしても、まず専用読書端末を買ってからでないとソフトが使えないということにくらべたら、雲泥の差である。これは読書端末にとってブレークスルーになる可能性がある。


 中身は文学全集の名の通り、名作がこれでもかとばかり数多く収録されている。ためしにと私の好きな中島敦でもと選んで読み始めたら、これがとまらない。画面が小さいので読みにくいかと思っていたが、そうでもない。やや老眼気味の元若旦那としては字が大きくて、むしろ目で追いやすかった。字が大きくて画面が小さいということは、一画面に表示される字数が少なく、頻繁にページをめくる(画面をきりかえる)必要があるが、そんなには気にならなかった。かえって、本という形態にひきずられないで、思い切って読みやすさを追求したなという感さえあった。


 今後は、著作権の切れた名作ばかりではなく、新作もダウンロード販売するという。通勤や旅行のときには便利だろうと思う。もちろん携帯ゲーム機の用途として読書が主になるということはないだろう。主たる用途はゲームで、飽きたり、目が疲れたら読書、時には英会話の勉強というような使い方になるだろう。


 印刷屋?はてどこにいるのでしょう。すくなくともパッケージの印刷ぐらいはあるだろうが、コンテンツの中心にはいないなあ。



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