新入社員に印刷の歴史を説明していて、気がついた。今年は活版を廃止して15年目だ。もちろんこの新人たちは活版を知るわけがない。たぶん、話にもきいたことがないだろう。「活字文化」という言葉はあるにしても、その本来の意味など知る人ももうすくない。
表題。もちろん、「戦争を知らない子供達」のパロディである。今、Wikipediaを叩いてみると、「戦争を知らない子供達」は1971年にレコードが発売されている。戦後25年目ほどの歌だったことがわかる。25年つまり4半世紀もたつと、世代が入れ替わり、前の時代のことを知らない子供達も成長する。前の世代が、戦争のころは大変だと言っても、戦後に生まれた子供達にとってみれば、生まれる前の話。直接の戦争体験ができるはずもなく、それはお話として歴史として聞くしかないということだ。
うちは活版の廃止が比較的遅かったから、活版組版最後の日は15年前だったけれど、そのころでももう活版は社業の中心ではなかった。一般的に言って活版が印刷の中心から消えて、そろそろ四半世紀になる。最近の新入社員にとっては活版はまさしく専務の講義で聞くだけの存在になりつつある。というより、説明されても活版の原理そのものがぴんとこないらしい。少し前までは、学校でそう習うためかかなり若い世代でも印刷といえば活版のイメージが強く、「現在の印刷は活版じゃありませんよ、コンピュータで作っていますよ」と繰り返さねばならなかった。印刷工場見学に来た子供が思っていた工場とあまりにイメージが違うので、とまどいを隠せなかったのを思い出す。
今では、印刷会社に入社してくる者でさえ「活版? 何それ?」の世界である。もちろん、活版を知らなくったって、今の印刷会社で生きて行くには困らない。技法的にも、活版とコンピュータ平版印刷はまったく切れている。活版で身につけなければならなかった知識とコンピュータ平版印刷で必要な知識が一致するところは多くない。
だが、活版は歴史として奉っておくだけでいいものだろうか。鉛活字の重みをもう一度思い出して欲しい。すくなくとも500年間、鉛活字とそれによって作られた大量の本が文化を支え続けたわけだ。そして本の流通と知識の拡散から、宗教革命がおこり、市民革命がおこった、つまり近代が始まったのも活版があればこそなのである。書物の流布による知識の蓄積ということがなければ、新しい思想の普及も科学の発達もなかった。蒸気機関も原子炉も飛行機も活版によって世界中にその技術が伝えられ、普及した。現代の豊かな生活はすべて活版のもたらした知識の大量複製によってもたらされたのだ。われわれ印刷人はそのことを誇りにすべきだし、もっと自慢してしかるべきだとも思う。
もちろん、知の蓄積を担う役目は活版がなくなり、コンピュータ平版の時代になっても印刷業が受け継いだわけだが、鉛の時代とはその重みが違う。鉛の時代は印刷しか文化の伝達を担えなかった。今や、テレビやラジオ、そしてインターネットがある。文化の伝統の中で、どうしても印刷の比重は大きくない。
今、印刷人はインターネット革命の前で翻弄されている。昨年、インターネット広告費がテレビ広告費を上回ったという、すでに雑誌や新聞広告はインターネットのはるか後塵を拝している。こんな環境の中、ともすれぱ、印刷こそ文化の中心であるという矜持さえ失いかけている。単なる産業。たんなる職業となりはてている。だからこそ、活版を忘れてはならないのだ。ずしりと重い活版が文化を支えたというう事実と我々はその後裔だという矜持を忘れてはならない。このことをことあるごとに新入社員に語ろうと思う。活版をしらない子供達には、活版のことを語り続けねばならない。それが活版とコンピュータの時代の両方を生き抜いたわれわれ世代のつとめだと思うのだ。
この台詞、電算写植だDTPだと盛んに旗をふってた20年前の私にプレゼントしたいなあ。