第15回 新潮文庫の100冊|学会誌・学術印刷全般・学会業務受託など、文化学術の発展に貢献する中西印刷

第15回 新潮文庫の100冊

 新潮社が、新潮文庫のうち100冊をえらんでCD-ROM化した。100冊まるごとを一枚のディスクにおさめたわけで、これは大変なチャレンジだ。今まで、CD-ROMというと、動画や音声が扱えるということが、主にうたわれて、文章を読ませるという事は敬遠されてきた。ところがこの「CD-ROM版新潮文庫の100冊」は文章を画面の上で読ませるということに真っ正面から取り組んでいる。


 まず、体裁だが、滑稽なまでに現在の本を意識している。表紙があって目次があるのだが、あくまで新潮文庫デザインそのままを、画面の上に再現している。そして、それぞれの作者の作品毎に、文庫本の表紙と作者の顔写真を配したタイトル画面を用意し、あらたな文庫を手にとる感じをシミュレートしてみせている。本文文字は黒で、秀英明朝という定評ある明朝体の書体をコンピュータにうつしかえたという。背景は白ではなくクリーム色。文庫本の紙が通常の上質ではなくて、茶色がかった書籍用紙を使っているのをそのままうつしているのだ。圧巻は一ページ読み終わって、次のページを読むために、マウスをクリックするとき、ページをめくるパラリという音がする点だ。ここまでくると、冗談めいているが、新潮社の担当編集者の村瀬拓男氏によると、「まず、コンピュータの上でも文章が読めるということを社内にも社外にも納得させたかった」という。そのためにも、古参の編集者の意見も参考に、読みやすいということを徹底的に追求したという。字間とか行間とかにもずいぶん苦労したそうだ。


 一口に百冊というが、小さな本箱ならそれだけで埋まってしまう量だ。例えば北杜夫の「楡家の人々」という、文庫本にすると上下2巻の大長編がはいっている。私は中学の頃に読んだ記憶があるが、読了するのにゆうに一週間はかかった。それが、まるまるはいっている。しかも、それですら、全体から見れば、ごくごく一部でしかない。あらためて、CD-ROMの容量の大きさに目をみはった。テキストのデータベースとして、現代文学の研究にも使えるかもしれない。哲学の研究などでは、古典の哲学書をデータベース化してコンピュータを使って研究するといったことが割と当たり前におこなわれているようだから、ひとつの使い方ではあろう。


 肝心の読みやすさだが、さすがによくできている。内容を一覧するつもりで見ていて、青春時代に読んだ懐かしい作品に思わず目をとめることがしばしばであった。芥川龍之介の「羅生門」、太宰治の「人間失格」、中島敦の「山月記」、三島由紀夫の「金閣寺」、藤原正彦の「若き数学者のアメリカ」も懐かしい。多数の小説の森の中を散策するようにあちらをパラリ、こちらをパラリというような読み方は、紙の文庫本では決してできないわけで、あらたな本の読み方を開拓したといえるかもしれない。ただ、短編や、解説などの短い文章なら、読んで見ようという気になるし、実際読んでみたが、中編以上だと読み続けるのは苦しい。長編ではまず読む気がしない。なぜだろう。画面が、いくら工夫したと言っても、現在のディスプレイでは字の精細さにかけるということがある。しかしなにより、読むのに同じ姿勢をしいられるのがつらい。そういえば、文庫本を読むときはいつも寝転がって読んでいたな。


 紙のない印刷とはどういうものかを知りたい人に、とりあえず1枚おすすめします。Windows版、マッキントッシュ版共用で、15,000円。









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