企業を経営したり企業に勤めたりする人は、通常、その扱っている商品を好きなものだ。自動車会社に勤める人は自動車が好きでたまらないから、数ある会社の中から自動車会社を選ぶ。昔、中学を卒業して印刷会社に就職する子供は、鉄工所に勤めようか、寿司職人になろうか、大工になろうかといくつもの選択肢の中から印刷会社を選んだ。それは本が好きだったからだ。「本が好き」。これは印刷に携わる者には共通の思いだろう。
私も、もちろん本が好きだ。私の家には図書室とは言わないが、本箱を並べた本を収めるためだけの部屋がある。この部屋で背表紙を見せて並んでいる本を眺めるのが好きだ。時には手に取ることもあるが、内容は二の次。とにかく本に囲まれているのが好きだ。 実は本好きにも二種類ある。本の内容が好きな人と、本の形態そのものが好きな人だ。おおむね、愛書家といわれる人はこの二つをあわせもっているわけだが、印刷会社に勤めていると、内容より本の形態そのものにこだわってくる。紙の質、造本体裁、そして組み版。内容より本という形態に惚れこんでいくわけだ。出版社の人も内容にもこだわるが、本という形態そのものが好きという人が多い。我々は良い本を作りたい。それは本そのものが好きだからというのは多分にある。
しかしインターネットの時代、本は本の形態をしていない。電子本は画面の中に本の内容をうつしだすが、本の形はない。組体裁だってブラウザの調整ひとつで大きい字に出したり色を換えたり自分好みに変えられる。PDFはかろうじて組体裁までは保持できるが、逆に言うとそこまででしかない。ここにきて出版社や印刷会社に勤めている人間は自己矛盾に陥ってしまう。本の形態が好きで本を作る印刷会社につとめたのに本が本ではなくなってしまうのだ。内容はいつのまにか「コンテンツ」と名前を変えて(英語にかわったただけともいえるが)、本とは別の商売となっている。
経営学の教科書に必ず載っている有名な話がある。アメリカの鉄道会社の凋落である。アメリカの鉄道会社が凋落したのは飛行機や自動車の発達が原因ではないという。鉄道会社は元々交通の主役であり、鉄道に限らずあらゆる移動に関するノウハウをもっていた。そして所有資産も街の一等地にある駅など優良な物ばかりだった。つまり、鉄道「会社」を発展させるつもりならあらゆる可能性があったのだ。しかし、鉄道会社の経営者も社員も「会社」よりもまず鉄道と機関車が好きだった。そして鉄道と機関車を存続させることに資源と情熱を浪費した。鉄道「会社」ではなく「鉄道」会社であろうとしたのだ。会社を存続させるためには環境に応じて業態は変わらなければならない。売っているものが好きであっても、それが社会から必要とされなければ、新たな方向を考えていくのが経営だという教訓なのだ。
印刷会社の経営者は「本」の形態が好きであっても、会社を存続させるということからすると、それにこだわってはいけないということになる。印刷会社からコンテンツビジネスへの変化という時代を考えれば業態は変えるべきなのだ。
そうとも、それは正しい。正しいのだが、私は蒸気機関車と殉じたアメリカの鉄道会社が愛おしい。本とともに会社を沈没などさせてはいけないことはわかっているし、未来の電子本の可能性をつゆも疑ったことがない。それでも私は本が好きなのだ。この感情だけはどうしようもない。
144回12年間も連載を続けて、いまだに迷い続けている原因は結局この葛藤なのかもしれない。今回でこのコラムは最終回です。長らくご愛読いただきましてありがとうございました。