第6回 かくて日本の組版水準は低下する|学会誌・学術印刷全般・学会業務受託など、文化学術の発展に貢献する中西印刷

第6回 かくて日本の組版水準は低下する

 なにか、面白いものはないかとでかけたJP95(大阪印刷機材展)は、これはもう歴史に残る展示会だった。なにがって、いい話ではない。はっきりいって悲惨だった。機械はきていないは、キャンペーンギャルもいないわで、会場が閑散としている。何でも、会場となったインテックス大阪の一部が、阪神大震災の避難所になっていて、派手なことができなかったらしい。また出展者の中には阪神大震災で展示品を焼いてしまったという事情もあったようだ。それにしても、機械が展示されない機械屋のブースなんて、はじめてみた。こうも不況が長く続いて、設備投資意欲が冷え切ってしまえば、年中、あちこちで開催される展示会も、機械屋さんには負担になってきているのかもしれない。しかし、あれならやらない方がよかったんじゃない。こっちまで暗くなってしまった。


 阪神大震災という事情が事情だから、直接比較するのは無理だろうけれども、MAC-EXPOとの落差はあまりに激しい。あちらは若い人の熱気であふれかえっていたし、新製品は山のようにでていた。DTPソフトはどんどん改良されて、ひと昔まえ、「あんなおもちゃみたいなものではしょせん使いものにならない」とタカをくくっていた印刷業界人をあわてさせている。たしかに、電算写植機の機能をフルにつかいこなさないとできない仕事というのは確かにある。しかし、印刷屋が日常やっている仕事のほとんどはDTPソフトでできてしまうのではないだろうか。いや、DTPソフトなどと大袈裟なことをいわなくても、そこらのワープロで充分という仕事が多いんじゃないか。25000円のワープロを動かすだけなら、98000円のパソコンで充分だろう。それに148000円でレーザープリンタをくっつけたら、立派に組版システムのできあがりである。これだけのシステムでも十年前、革命だといって発売された電子組版機並の性能はもっている。こうなると、安いものの方に、人間の関心が向くのはいたしかたない。


 問題は、やはりパソコンレベルではできない仕事なのだ。旧漢字ものとか、丁寧な詰め組とか、今後も大事にしていきたい。しかし、ちょっと凝ったことをするためだけに、値段が10倍も20倍もする機械を維持するのは経営上苦しい。なんせ、組版価格は10倍取れないのが現実だからだ。よくいって、倍もとれれば、万々歳なのではないか。それどころか、同じ事が前の10分の1の値段の機械でもできてしまうのだから、組版価格はさがる一方だ。結局、経営の効率ということを考えたら、面倒な組版を避けて、DTPレベルでもできる仕事を大量にこなすのが、得策ということになってしまう。かくて、日本の組版水準はどんどん低下する。


 しかも、いまや組版するのは印刷屋とは限らない。DTPは誰だって使えるのだ。ミニコミかなにかをてがけている人でも、組版機1000万といわれたら、ちょっと手が出ないだろうが、100万なら、躊躇はしても買えないレベルではない。まして、10万ならば、即座に購入してしまうだろう。今のDTPの価格はもはやその水準に近くなってしまった。だが、素人はどこまでいっても素人だ。毎日毎日、組版をやり続けるプロとはわけが違う。印刷のみでよいといって、持ちこまれてくる素人DTPの版下はそんなにいいものではない。これはDTPの機能が劣っているからではなくて、使いこなせていないのだ。それでもそういう素人DTPで作った雑誌が書店に並べられたりしているわけだから、それをみて、組版とはこんなものだという認識しか持たない人が増えてくることになる。かくて、日本の組版水準はどんどん低下する。


 結局、媒体としての紙ということにどれだけ消費者が価値をおいてくれるのかということにかかっている。紙の上の文字というものを少しでも読みやすくしたいという耐えざる要望が消費者の側にあればいいのだ。それにみあう対価を払っていただければなお、結構だ。しかし、見通しは暗い。文字を読む人そのものが減っているし、最近の若者は新聞も雑誌も見ないっていうしね。ちょっと暗すぎるなあ。来月は明るくいきましょう。



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