第90回 電算写植の落日|学会誌・学術印刷全般・学会業務受託など、文化学術の発展に貢献する中西印刷

第90回 電算写植の落日

 電算写植が終わりの日を迎えようとしている。考えてみれば、電算写植を導入してから既に20年近い歳月が流れている。もちろん、導入当初の機械はもう残ってはいない。バージョンアップやハードの交換を繰り返しながら、時代時代にあわせて更新してきた。それでも、電算写植システムというのは20年前と基本は変わっていない。コマンドを挿入しながら、文書をつくりあげていくというバッチ手法である。


 WYSIWYG全盛の今となっては、いささか時代遅れの感がないでもないが、扱い慣れた人にとっては、これほど生産性の高いシステムはないという。WYSIWYGは、とっつきはよいが、使い込んだあとは、むしろ操作がまだるっこしく感じられるものらしい。慣れもあるのだろうが、うちの職人さん、ことに活版から転職したような人は電算写植をこよなく愛していた。制約の多いシステムで芸術的な組版をおこなったり、バッチのメリットを追求した自動組版システムを構築したりと、電算写植を極限まで使いこなしたのはこうした職人さんだ。


 しかし、最後の電算写植端末機の導入から5年。すでに当社で使ってきた電算写植システムの新規の販売は中止されており、次のバージョンアップはない。そろそろ全面的にDTPシステムにかえる時期だと、昨年あたりからさまざまなDTPシステムを評価し始めていた。そこに追い打ちをかけるように、「電算写植システムメンテナンス停止のお知らせ」という文書がやってきた。この不景気だから、販社を責めるのは酷だが、電算写植システムにとってはとどめの一撃である。次期DTPシステム選択に待ったはなくなった。 もちろん、当社でも、DTPのシステムはすでにMAC、WINとも動かしてきてはいる。ただ、電算写植がある以上、ページ数の多い本格的な出版印刷物にはDTPを使うことはあまりなかった。DTPは機能的に遜色ないのかもしれないが、出版印刷物に使うほどには、「信用していなかった」のである。


 DTPシステムの選定にはいって、最近のDTPの機能の多彩さに目を見張った。なにより、電算写植システムでは何かと不便だったPDFやXMLなどの電子ドキュメント製作力には舌をまいた。電算写植で苦労していたのはなんだったんだのだろう。それで、価格は電算写植システムとは、2桁違いの安さなのだからおそれいる。DTPを10本を買っても、電算写植システム1台にはるかに及ばない価格なのだ。予想していたとはいえ、DTPのここまでの発達には黙さざるをえない。


 だが、本当にDTPでよいのかという心配はある。確かに性能面での遜色はないのは言うまでもない。むしろ、これだけ大量に売られ、同じ様な機能を積んだDTPでは、どこの会社で誰が組版しても、同じになってしまいはしないかということが、心配なのだ。DTP組では他社との差別化ははかれない。あげくのはて、残るのが価格競争だけではたまらないという自問をまた繰り返すのである。


 電算写植は、古いかもしれないが、オペレーターの力量次第で組版がよくも悪くもなる上に、生産性もオペレーターの工夫次第というところがあった。いわば、職人技の世界だ。ある意味で、電算写植はコンピュータを使ってはいたが、職人の道具という側面があった。それだけに、手のつくりだすぬくもりがあった。


 と、ここまで書いていて、活版が終わるときにも、お年寄りから同じようなことを言われたことを思い出してしまった。「活版には職人魂がある、組版にいのちがやどっている」などという老人を一笑に付して、しゃにむに電算化をすすめたのは他ならぬ私だった。電算写植が終わろうとする今、いつのまにか、私自身が守旧派となってしまったようだ。電算写植が終わる日は近い。



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