最近、細かい字が見えなくなってきた。老眼である。コラムの題名が若旦那でも、連載開始以来9年たっているから、さような肉体の衰えもしかたがないところがある。若い頃文庫本という安価なものがあるのにわざわざ高い単行本を買う大人の存在が不思議だったが、ようやっとその理由がわかった。文庫本は字が小さくて高齢者には読みにくいのである。
しかし、そんな単行本でも読めない人がいる。いわゆる弱視の人たちだ。視覚障害の中でも全盲という人は思われているほど多くはなく、9割は低いながらも視力があるという。こうした人々のための本は必ずしも点字でなくてもよい。残された視力でも読めるように、字が思いっきり大きくて、横線の太いゴシック体で印刷されていればいいのだという。これが大活字本だ。実は大活字本は、今までほとんど作られたことがなかった。制作上の技術的制約が大きすぎたのだ。
大活字本を作成するには、通常の本を製版でひきのばすだけでいいのではと思われるかもしれない。が、単純に引き延ばしただけでは、1ページのサイズそのものが大きくなる。新聞紙かそれ以上の大きな紙を重ねて本を作ったり取り扱ったりということを考えるとそれがいかに現実的でないかはご理解頂けると思う。むしろ弱視者の視野が狭いことを考えると、本のサイズ自体は大きくできない。にもかかわらず、字だけは極端に大きくしなければならないわけだから、とにかくページ数は膨れあがる。しかも部数は少ない。印刷技術的には大ページ少部数である。それはまったく通常本とは異なった概念の本であり、結局、既存の本とは別に大活字のために一から作るしかない。
実は、大活字本はコンピュータとオンデマンド印刷システムをえて初めて、現実的となった。こうしたデジタル印刷システムこそが、今まで大量生産大量消費社会の中で印刷システムに疎外されてきた弱視者の方々にも本を届けることができたのだ。
コンピュータならば、通常本のために作った文字テキストデータも大活字本のために使えるし、フォントの指定をかえるだけで、簡単に大活字本の版下ができあがる。これだけでも大変な進化なのだが、少部数、大ページ数という、従来の印刷技術がもっとも苦手としていた領域をオンデマンド印刷がカバーした。コンピュータのデータをえて、そのまま本を作り出してしまうオンデマンドシステムは、少部数印刷にめっぽう強い。しかも大ページ数でも版を作らないからきわめて安価に作ってしまう。
実は、私の属するオンデマンド印刷に関する研究会で、大活字本のボランティア作成を引き受けた。全100冊を5部づつ作って、盲学校や視覚障害者向けの図書館に納入するというプロジェクトである。今まで、企画だけはあったが、実際に印刷するすべがなかったか、あったとしてもきわめて高価となり実現していなかったという。全100冊とはいっても、会員社10社に割れば、一社10冊。これを5部づつ作ったとしても本当に微々たるものだ。データはインターネットを使って送ってもらえばいい。
これをたのまれたときは、たとえボランティアでもオンデマンド印刷が止まっているよりましだろうぐらいの気持ちで引き受けた。私自身は現場にまかせっきりにして、反響を聞くまで、まったくわすれていたぐらいだ。そうなのだ。このボランティア。当事者である私たちでも予想すらしていなかった大きな反響があった。寄付を受けられた盲学校の先生は涙を流して喜ばれたというし、新聞をはじめマスコミの取材もあいついだ。
印刷屋も自分たちの機材を使って、人をここまで幸福にできるんだなあと思った次第。そして、その立役者はやはりコンピュータとデジタル技術である。コンピュータは、確かに印刷屋を幸せにはしたとはいえないかもしれないけれど、今まで印刷や本から疎外されていた人々を幸せにすることはできたのだ。
それだけで充分じゃないのかな。たぶん。