第140回 ペーパーレスの自己矛盾|学会誌・学術印刷全般・学会業務受託など、文化学術の発展に貢献する中西印刷

第140回 ペーパーレスの自己矛盾

 印刷業界の必須要件となりつつあるプライバシーマークに引き続きISO14001の取得をめざしている。しかし印刷屋が、これら取得のための社内体制作りをおこなえばおこなうほど、自己矛盾を感じてしまうのだ。どちらの規格も改善の具体的方策となるとペーパーレスを目指すことになってしまうのである。


 まず、プライバシーマークだ。これをとろうとすると紙の上の個人情報がやりだまにあがる。紙の上に書かれたものは容易に流出してしまい、誰でもが見てしまえるというのだ。確かに紙の保持は匿名でも可能だし、個人情報をもちだされてコピーされても、元の紙を戻されたら、情報漏洩の犯人特定も難しい。それを防ぐためには全個人情報をコンピュータで管理しサーバーに載せてしまえばいいとなる。そうすれば、個人情報へアクセスできる人間が特定できるし、アクセスログを確実に保存しておくことで、誰がそこへアクセスしたか明確にわかる。これが最大の個人情報(特にデータベース)漏洩への牽制になるというわけだ。この理屈だと、名簿の印刷なんてもっての他ということになる。


 ISO14001 環境規格の方は、環境負荷に対する「継続的な改善」を求められる。すると最後には「紙の削減」にいきつかざるをえない。最近の印刷屋はトリクロロエチレンなんて危険なものも使わないし、煤煙も水質汚濁もまあ問題ない。印刷機の騒音と振動がちょっと厄介であるにしても、対策はとれる。この上でさらに継続的改善を求められるわけで、結局のところ「紙の削減」ということが俎上にあがってこざるをえないのである。たいていの指南書にも載っているし、コンサルタントも異口同音に言う。「紙の消費は森林資源の浪費で、廃棄後の処分の問題も含めて問題が多い。紙の消費を減らしましょう」。


 とどのつまり、ペーパーレス化は企業の社会的責任ということになっているらしいのだ。社会的責任を考えず、自己都合だけで印刷物を作り続けることはもはや社会が許さない。いや環境と言うことでいうなら、地球が許さない。このまま人類が自分かってに生きていけば地球が滅びるということか。


 印刷屋は、名簿であろうが何であろうが、紙を使って大量に印刷物を作るのが仕事だった。それが、ダイレクトメイルのように個人の郵便受けを詰まらせようが、新聞チラシのように読まれもせず捨てられようが、専門書のように本棚の中で死蔵されようが、それは印刷屋にとっては預かりしらぬことだった。印刷屋は印刷物を作るのが仕事であって、それを作る目的は印刷屋にとっては関係なかった。結果として、個人情報の流布に手をかし、環境を悪化させる一端を担ってきた・・わけか。


 今後はクライアントの言うままに印刷物を作るのではなく、その意味をより明確にし、社会の中で正しいあり方を提案していくというのが印刷屋のあり方ということになる。むろん、プライバシーマークも ISO14001も別に紙を絶対に使うなと言っているわけではない。適切な使い方を目指せばいいだけのことだ。必要であり、紙以外に代替物がなければ紙を使って印刷すべきなのだが、そうでないものは勇気をもって受注をことわるべきだろう。


 それでも、我々は紙の消費量がそのまま売り上げの増加であり、利益の増加である印刷屋を営んできたというのは動かしようがない。わたしたちの営みとはすなわち悪だったということになるのだろうか。この点を考えるとペーパーレスをもってよしとする考え方に生理的に納得がいかない。もちろん、どこからどう考えても、環境や個人情報保護は正義である。正義は正義として認めるが、印刷という仕事は社会にとって有益だと考えて邁進してきた印刷屋の誇りはどうすればいいのだろう。まあ、こんな疑問をもってしまうこと自体が時代遅れなのかもしれないけれど。



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