第101回 PDFの誤解|学会誌・学術印刷全般・学会業務受託など、文化学術の発展に貢献する中西印刷

第101回 PDFの誤解

 PDFが増えている。どこにって? あらゆるところにである。 まずは、インターネット。ネットサーフィン(これも古びた言葉になってしまった)をしていると、あらゆるところでWEBページに埋め込まれたPDFにお目にかかる。レイアウトが複雑で、HTMLで書くのは面倒なファイルがそのまんまPDFにして貼り付けてあるのだ。オンラインジャーナルのようにPDFで、雑誌そのものをインターネット配布することもある。


 次に、ファックスのかわりにPDFが送りつけられてくるという奴だ。最近急に増えた気がする。電子メイル本文では体裁の指示ができないし、図や、絵も送れない。添付ファイルで画像ファイルを送ることもよく行われるが、画像ファイルだと、相手がそれを読めるかどうか気になる。PDFにして送れば、PDF Readerはたいていのパソコンにあらかじめインストールされているので、クリックするだけで自動的に読める。そこまで考えてなのか、単なる習慣なのか、何でもかんでもPDFにしてしまうという人が多くなった。


 そして、クライアントからの入稿PDFである。これには2つある。クライアントからのPDFを出力すればそのまま印刷物になってしまうという、超親切型。もうひとつは、PDFを組版の原稿として入稿して来るという勘違い型。


 超親切型は、完全版下入稿・単純オフセット印刷という伝統の技を電子的におきかえたものだ。PDF完全版下である。そのままCTPで刷版出力すれば、版下原稿のフィルム撮り、あるいはスキャナ撮りさえ必要ない。究極のコストダウン技法でもある。


 ただこれはDTP入稿全般にいえることだけれど、素人入稿は最終段階まで作り込んであればあるほど、いざトラブルとなったときの対応が難しい。素人の生かじりデータ原稿、いわゆるトホホファイルに悩まされる実態はこのコラムでも何度もとりあげている。トホホPDFはその極限である。PDFでなく、DTPのデータファイル入稿なら、いざというときはファイルが作られたDTPソフトを使って、面倒きわまりないが、修正ができなくはない。ところがPDFだったら、修正できるのはきわめて限られてしまう。事実上細かい訂正はできない。クライアントは親切この上ないファイルを作っているつもりなのだろうが、わざわざ超トホホファイルを作っているようなものなのである。


 親切PDFにしてそうだから、PDFを組み版原稿としようとする勘違いPDF原稿には、なおのこと泣かされる。これはどうやらこういう理屈のようなのである。


「印刷屋さんによっては読めないファイルがあったりする」(これは事実)


「作るんだったら、汎用性の高いファイルがいい」(これも事実)


「PDFファイルは、たいていのコンピュータで読め、MACもWINも関係ないらしい」(事実ではある)


「従ってPDFファイルで印刷屋に入稿すれば汎用性が高い」(?)


事実を積み重ねているのに、なぜか結論がとんでもないことになってしまっている。


 組み版の原稿として、PDFを入稿されればこれは悲惨の一語に尽きる。出力されたものを画像ファイルとしてPDFにしてあるだけなら、これはもう一度入力かOCRからやりなおしだし、DTPソフトから直接生成されていたとしても、テキストとしては、一行毎に切れていたり、文字化けをおこしたりで苦労することになる。中に写真でも貼ってあると、それをDTPソフトにとり混むのはやっかいなこときわまりない。


 うーん、101回目の連載と最初の方を比較しても、印刷屋の苦労にはかわりがないんじゃないか。いや、むしろ、ツールが増えただけ質が悪くなっているかもしれない。



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