第108回 真夜中の電波時計|学会誌・学術印刷全般・学会業務受託など、文化学術の発展に貢献する中西印刷

第108回 真夜中の電波時計

 時計というのは、ちょっと前まで狂うものだった。私が中学入学祝いに買ってもらった腕時計も、すくなくとも1日に1分程度は当たり前のように狂った。やがてクォーツ時計の登場で桁違いに精度はあがったが、1ヶ月~半年に1分程度は狂った。秒針となると、ほとんど信用できない。それが当たり前だった。


 ところが、最近急激にその数を増やしている電波時計はまったく狂わないのである。腕時計を電波時計に替えてから一年ほどになるが、その間一度も時間合わせをしたことがない。それでも秒単位まで正確である。あまりに見事なので、今回、掛け時計も電波時計にした。


 電波時計も電池を入れるまでは当然あっていない。しかし電池をいれて説明書の言うままに放置しておいたら、真夜中12時に勝手にものすごい勢いで針がまわりだした。うまく説明できないが、突然、時計の分針が秒針のごとく動くのだ。ひどく不気味なものだった。そして、とまったかと思うと、びったり針が時報とあっていた。秒針もいつのまにと思うぐらいあざやかにあっている。鳥肌がたった。


 電波時計は、時計が自分で勝手に時報に合わせるのである。時報は標準電波として常時発射されている。狂うわけがない。というより、狂っても、毎日時計が自分で調整してしまうのである。私は時計は正確でないと気が済まないたちなのだが、その割に無精で、時間をあわせたりするのが面倒でしかたがなかった。電波時計はそんな私にとって夢の実現でもあった。これは私にとって理想の時計といっていいかもしれない。ええい、こうなったら家中の時計はみんな変えてしまおうか。


 電波時計は、発想のみごとな転換だと思う。実は、正確な時計を作ったのではないのだ。中身は単純なクォーツ時計である。それを自動的に時報にあわせるということで、超正確な時計をうみだしたわけだ。


 ここから印刷の話になる。IGAS関連のあるシンポジウムを聞いていて、今の印刷業界はなにか勘違いをしていないかと思いいたったのだ。業界は、高付加価値印刷物と称して、オフセットを前提とした、さまざまな超高精細印刷を必死に売り込もうとしている。しかし、これは、機械式時計に高級な部品を大量に組み込んで時間をあわせようとしているのに似ていないか。自分たちが今までやってきた方法論をつきつめることが高付加価値だと思いこんでいるのではないかということだ。


 シンポジウムは印刷の需要者に印刷業界への要望を聞くという物だった。司会者は必死にシンポジウム参加者の発注担当者に高精細印刷への期待をみちびきだそうとするのだが、誰もそんなものに期待を表明しない。むしろ、バリアブル印刷とか、データベースとの連携とかへの要望が口に出る。バリアブル印刷は最新のオンデマンド印刷機が可能にした技法で、一枚一枚、お客様の好みに応じて、印刷の中身をかえていくという印刷手法である。企業の広告としては、個別のお客様によりきめ細かい広告宣伝をおこなうことが可能である。しかし、その扱い方は今までの印刷業が扱ってきたやり方とは根本的に違う。


 バリアブル印刷が電波時計だなと思った。印刷物は印刷会社の自己満足のためにあるのではない。広告印刷物の目的は、時計の目的が正確な時を刻むということなら、お客様に商品をうりこむということだ。ならば、手段がどうあろうと、提供すべきものがなんなのかよく考えるべきだと思う。


 まあ、某○レックスぐらい、ブランド化してしまえば、時計も機械式の方が高く売れるわけだけれど。印刷屋にブランドなんてあるのだろうか? 



ページの先頭へ