第94回 PDAは本にとってかわるか|学会誌・学術印刷全般・学会業務受託など、文化学術の発展に貢献する中西印刷

第94回 PDAは本にとってかわるか

 電子メイルとともに生活しつつ、出張の多い私にとってノートパソコンは必需品だ。なのに、そのノートパソコンを落としてこわしてしまった。あわてて、修理にだしたが、直るのに2週間はかかるという。いっそ、新しいノートパソコンを買ってしまおうかとも思ったが、修理中のものがあるのにいかにももったいない。


 そこに目に入ったのが、PDA(Personal Digital Assistance)である。日本では電子手帳から発達してきたので、住所録やスケジュールメモ機の印象が強いが、今、あえていうなら携帯情報端末とでも訳すべきだ。住所録やスケジュールメモに加えて電子メイルが使えるなど普段の仕事に必要な機能がコンパクトにまとまっている。旧型のものならそんなに値段も高くなく、当座しのぎに買うにしても、そんなに無駄ではない。つい、衝動買いしてしまった。


 電子メイルは何ごともなくつながった。今は携帯電話でもメイルが簡単にやりとりできる時代だから、それより一回り大きいPDAでメイルができるのは当たり前といっていい。インターネットのWWWもみることができるというふれこみだったが、こちらは画面が小さすぎて、実用的とはいえなかった。


 ただ、WWWを使ったサービスとして電子文庫というのがあった。電子文庫は小説などをインターネットからPDAにダウンロードして読むというものである。専用のサイトがたちあがっており、さまざまな文庫を電子的に買うことができる。 こうした画面で本を読む電子本の試みは、今までいくつかなされている。10年ほど前に「デジタルブック」があったし、近くは「電子ブックコンソーシアム」の携帯端末の実験も記憶に新しい。しかし、これらが成功したという話は聞かない。画面などはかなり高精細になってはきているのだが、機械自身が重かったり、ソフトの供給がフロッピーなどの物理媒体であったりと、本、それも文庫本の手軽さにくらべたら、数段も数十段も劣るからだ。


 PDAはその点、胸ポケットにはいるぐらいの軽さだし、なにより、電子文庫のソフトはインターネットからダウンロードできる。このことは、本屋やフロッピー屋がなくても、インターネットを通じて、どこからでも好きな本を買えることを意味する。これは強い。実際、威力を感じたのは、「のぞみ」の発車ギリギリに東京駅にたどり着いたときだ。車内で読む本を駅で買うひまがなくても、席についてから、インターネットを通じて電子文庫を選んでダウンロードすればよかったのだ。


 もっとも、いまのところ電子文庫には選べるほどの選択肢があるわけでもない。発売されている電子文庫の種類があまりに少ないのだ。それに、PDAの画面ではちいさすぎて、どうにも読みにくい。それではと字を大きくする設定にすると、一画面にはいる字数がすくなくなって、しょっちゅうスクロールキーを押さなくてはならない。大きな字のモードで短編一本読んだら、指がだるくなってしまった。なにより、一番腹が立ったのは、電子文庫の価格が高すぎることだ。紙もなく、組版もしてなくて読みにくいのに、紙の文庫本より高い。何を考えているんだろう。文庫本より安くしたら文庫本が売れなくなるという懸念があるからなのだろう。


 もちろん、これらの欠点をもって電子文庫に未来がないと言うつもりはない。画面の精細さはおそらくただちに解決がつく。8ポイントルビつきが画面で読める日は遠くないだろう。電子文庫ソフトが充実するのも、本が売れなければ、電子文庫で稼ぐぐらいの根性が出版社や著者にあればいいだけのことだ。まあ、この根性がなかなかでてこないところが、最大の問題なんだろうけど。



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