第5回 償却が終わらないまに|学会誌・学術印刷全般・学会業務受託など、文化学術の発展に貢献する中西印刷

第5回 償却が終わらないまに

 とにかく、コンピュータの世界は進歩が速い。試験運用で使えるかどうか見極めようとしている間に、新型がでていたり、契約がちょっと遅れただけで、商談時の値引きより安い新価格にかわってしまったりが日常茶飯事である。コンピュータは1年で同じ性能のものの価格が半額になるといわれるが、これはおそるべきペースで、実に、2年で4分の1、3年で8分の1ということなのだ。具体的に言うと、3年前400万円だして買った機械と同じ性能の物が、今年50万円で買えるということなのだ。実感としては、これでも、控えめと言わざるをえない。私の例だが、3年前、100万円で買ったパソコンと同じ性能のものが、今年安売屋のチラシで98000円になっていた。10分の1以下である。


 かくて、電算室の片隅に古い機械があつまることになってしまう。数年前、数千万を投じた電算写植システムも、完全に時代遅れになってしまった。いまなら同じ性能のシステムを安売屋で買ったパソコンだけでも組めるのではないか。古い機械も使って使えないことはないが、今の派手なスペックを見慣れた若いオペレーターが使う気になるかどうか、はなはだ疑問だ。それに、はたしてそういう古い機械を使っていって、この激烈な競争に勝てるかどうかも疑わしい。かといって、廃棄するわけにもいかない。償却がおわっていないのだ。結局、電算室のスミで埃をかぶっている機械がもっとも高価なものという馬鹿な事態になってしまっている。


 しばらく、このジレンマからは逃れられそうもない。今年買った機械も、3年後には古くなってしまうだろう。そして、また償却がすまないまま次の機械をいれなくてはならない。ならば、はじめっから3年償却の覚悟を決めるかだが、これは危険だ。価格競争のあまり、ほとんど利益があがらなくなってしまった組版業界で、3年償却なんて荒技ができるわけない。だいたい税務署だって承知しない。


 機械の償却それ自身は経理上の問題だからなんとかつじつまを合わせるにしても、さらに問題なのはオペレーターだ。オペレーターは慣れた機械の方がいい。10年も親しんできた組版システムだと、オペレーターはそのシステムから離れようとはしない。昔はそれでよかったのだ。はいったばかりの新人よりは、1年先輩の方が仕事を知っており、仕事も速くて正確であった。そして1年より、2年、2年より5年。5年より10年。個人の資質はあるにせよ、従事する期間が長ければ長いほど1日の長があった。システムの長所も弱点も知り抜いていて、裏技にも通暁しているそういうベテランが存在しえた。すくなくとも、コーダーなんていう職種があった電算写植時代まではそうだった。


 今、こうも機械の更新が速くなるとその慣行が全く破壊されてしまう。最新鋭のWYSIWYGマシンはベテランよりも、頭の柔らかい若い人間の方が使いこなしやすい。最新鋭であればこそ、図形処理もできれば、フォントの加工も容易だ。ところが今のシステムは長所や弱点をも知る前に新しいバージョンがでている。苦労して裏技を駆使して組版を工夫しても次のバージョンではその機能が標準装備されていたりする。こうなると、大事にオペレータを育てるより、若い人間をどんどん使って新しい機械を覚えさせた方がいいことになってしまう。


 つまりは、人間の技能までも、償却が終わらない前に使い捨てられていくようなものだ。そうしなければ、激烈な競争にたえられないのだ。このことは、昔、技術の修得と表裏一体だった組版原則の先輩から後輩への伝承などが、破壊されてしまうことを意味する。このままでは、日本の組版そのものが荒廃していくのではないだろうか。だが、もうそこへ向かって足をふみだしているのだ。印刷屋の都合で、コンピュータの進歩が止まることなどありえない。ならば、職業訓練のありようそのものを再検討しなければならない。



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