第40回 関西空港3年|学会誌・学術印刷全般・学会業務受託など、文化学術の発展に貢献する中西印刷

第40回 関西空港3年

 関西空港ができて3年になる。「関西」空港とはいうものの、その場所は大阪から遠く、京都からとなるとなお遠い。ほとんど和歌山空港である。実はこれが問題なのだ。関空ができてから東京-伊丹便は当然のことながら減り、東京-京都間での飛行機による印刷フィルム送付がどうしようもなく不便になった。


 地方がなにをどうがんばっても、情報の中心は東京だ。多くの仕事は東京に原稿が集められ、東京で編集され、東京で組み版され、東京で印刷され、東京で製本される。ただ、実際に印刷物が要るのは全国にちらばるわけで、印刷されたものは当然地方へ運ばなければならない。これには輸送費がかかるし、急ぎの仕事だと輸送自体がまにあわない。こういう時、フィルムまで東京で作り、印刷・製本は現地でというやり方はよくする。このフィルム輸送手段によく使っていたのが飛行機便なのだ。そういう意味で関空ができて京都は航空便僻地になってしまった。前置きが長いなあ。


 しかたがないから、現在は新幹線で輸送している。当然人がフィルムを持って乗らなければならない。フィルム一枚のために人が一人つきそうわけだ。馬鹿馬鹿しいがしかたない。新幹線では航空便のように、荷物だけを運んでくれたりはしないからだ(新大阪発着だとそういう制度もあるらしいが、京都では使えない)。もっとも、京都はまだしも新幹線という選択肢が、あるだけましともいえる。飛行機しか輸送方法のない北海道とか、沖縄は大変だろう。関空以前、京都へ飛行機で運んでいたときも、雪とか台風のたびに欠航になって、さんざん気をもまされたものなのだ。


 当然、このコンピュータ時代にやっていることじゃない。こんなこと通信でやるべきことなのだ。もちろん、何十年も前から、フィルム電送という技法はあった。新聞社なんかが使っている新聞FAXというやつだ。しかし、これは超高価であって、新聞社や大手印刷会社でもないともちきれないものだった。全国津々浦々の印刷会社がもてるという代物ではなかった。


 だが、時代はデジタル一直線。ポストスクリプトとISDNの普及が、電送という中小印刷業者の夢を一気に現実的なものにしてくれた。まず、ポストスクリプト。この普及で全国どこでも、同じ規格でデータを送ることが可能になった。電算写植の時代だったら、A社とB社で規格が違うから、データを異なる会社同士で送ることなど、まず不可能だった。それがポストスクリプトが印刷業界のデファクトスタンダードになるにつれ、どの印刷会社からどの印刷会社へもポストスクリプトを媒介になんとかデータがつながってくれるようになった。そして、ポストスクリプトでありさえすれば、イメージセッタはなんでもいい。


 そして、ISDN。最初、聞いたときにはいったいこれは何をするものだろうかと思ったものだが、今や印刷業者にとってなくてはならないものになった。どこの会社にもインターネットやG4FAX用に1本や2本のISDNの回線がはいっていることと思う。これが、大容量データ転送にそのまま使える。


 そう、現在では印刷業者が電送をやるのに、ハードウェア類であらたに買わなければならない設備などなにもない。ソフト類にはすこしばかり投資はいるだろうが、ハードに比べるとはるかに少ない。これで電送をやらない手はない。東京からも「さあ、やりましょうや」の声がかかった。いよいよ、全国どこにいても、タイムラグなしに印刷版を受け取ることのできるネットワーク印刷業時代がはじまった。



ページの先頭へ