第111回 フロッピー帝国の興亡|学会誌・学術印刷全般・学会業務受託など、文化学術の発展に貢献する中西印刷

第111回 フロッピー帝国の興亡

 最近では、申請書提出の時などにフロッピーで原稿を提出することが求められることがある。受け取る側では、こうすることで、コンピュータへの入力の手間を減らすことができるわけなのだろう。印刷屋みずからも、そうやってフロッピー入稿を推進して来たわけだから、拒む理由もない。そういえば、印刷の工程として原稿の手入力は最近ほとんどやらなくなった。


 さて、フロッピーへの入力だ。フロッピー自体は机の引き出しを探せば、いくらでもでてくる。以前は、パソコンを動かすにはフロッピーを何度も出し入れする必要があったから、なにかの機会に机にしまってそのままというフロッピーがあらゆるところにある。それをフォーマットし直して使う・・・。そこで気がついた。パソコンにフロッピードライブがついていない。


 私のコンピュータは1年ほど前に更新したWindows XPマシン。特別仕様のデュアルディスプレイマシンである。しかし、それにはフロッピードライブはついていなかった。そのことに1年間気がつかなかったということは、すくなくとも1年間は一度もフロッピーを使う必要がなかったということだ。最近のパソコンにはフロッピードライブは標準装備ではない。私も一年間一度も思い出さなかったわけだからそれも当然だろう。データ交換媒体として1Mそこそこというのはあまりに小さすぎる。デジカメの写真1枚もはいらない。


 フロッピーを初めて見たのは今から20年前、大きな8インチのものだった。電算写植は、この8インチフロッピーとともに栄え、滅びたと言っていい。会社にはその時代の名残のキャビネットが残っている。8インチフロッピー専用キャビネットである。8インチフロッピーはなくなったが、キャビネットは単なる「もの入れ」として使われ続けた。今の新入社員は、これがフロッピーの格納場所だということを知らない。いやたぶん、8インチフロッピーそのものを見たことがない。


 家にパソコンを買った時、ついていたのは5インチフロッピー。ハードディスクが出る前は、アプリケーションをたちあげるのにいちいちフロッピーをとりかえ、いれかえするしかなかった。おのずとパソコンのまわりにはいつもフロッピーが散乱していた。しかし、そうしたフロッピーの散乱する情景こそがハイテクだと思っていた。


 それでも8インチ・5インチの時代はパソコンはそれほど一般的な物ではなかった。フロッピー入稿として全盛を極めたのは3.5インチ。原稿のはいった角2封筒に原稿とともに、3.5インチフロッピーがいれられているのが普通になった。3.5インチフロッピーは印刷屋中にあふれかえり、営業の机の上は整理を待つ3.5インチフロッピーが山なしていた。


 フロッピーは印刷会社の電子化の象徴でもあり、もっともわかり易い形で、印刷の電子化をクライアントに知らしめたといっていいだろう。


 「原稿がプリントアウトされているということはワープロを使っておられますね。フロッピーありませんか。」


 営業がこの言葉を自分から言い出すには少し時間がかかったが、営業に定着したときクライアントは印刷会社の中で根本的な変化が起こっていることに気がついただろう。


 今、フロッピーの時代はすくなくとも印刷会社では終わった。そしてデータ入稿の主役になったのは、MOでもCD-Rでもなく、電子メイルの添付ファイルだった


 データをインターネットでなく、フロッピーのような外部記憶媒体でやりとりした時代というのは、後の印刷史の編纂者からすれば、活版からデジタルへの転換の一時期の過渡的現象ということになるだろうか。フロッピーもそろそろ死語の仲間入りだなあ。



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